「アイスカフェラテ1つ」
私がカフェでよく頼むオーダーだ。
私はコーヒー党だ。朝はカフェオレで気合注入し、お昼は自販機の甘めのカフェラテで一息。フルコースの最後の飲み物は必ずコーヒーを頼むくらいコーヒーが好きで、私の必須アイテムとなっている。カフェインの摂り過ぎは良くないことや胃に負担がかかることは分かっているが、気が付いたら飲んでいることが多い。
私にとって当たり前の存在であるコーヒーであるが、コーヒーが私に「当たり前の大切さ」を教えてくれたことがあった。私はコーヒーの味を感じなくなった時期があった。
◎ ◎
「味覚鈍麻」をご存じだろうか?
味覚そのものはあると自覚はあった。しかし味の感じ方が鈍くなってしまっていることだ。
発覚したのは、初めて受診した精神科での検査。主治医から苦い液体を渡され、指示された通り口に含んだ。
「はい、10秒経ったので飲み込んでください。苦いと感じたのは、①舌先②舌の真ん中③飲み込む時 、のどれですか?」
「③です」
「亜鉛不足で味覚が鈍っていますね」
どうやら当時の私は想像以上に大きなストレスを抱えていて、ストレスから身体を守ろうと様々な機構が働いていた。そこで大量に体内の亜鉛が消費されてしまい、結果舌の味覚が鈍ってしまっていたのだ。
私は知らない間に、味を感じずに食事をしていたことになる。 主治医からは亜鉛剤を含む幾つかの薬が処方された。
……ショックを受けないわけがない。
私は家に帰ると、急いで食事の準備をした。いつも飲んでいたコーヒーも淹れて何も加えず、飲んでみた。
美味しい、しかしそれを感じたのは喉の方だった。舌先は熱さしか感じなかった。コーヒーだけでなく、他の食べ物もだ。好きな甘いものでさえ、舌では甘さをしっかり認知できなかった。
失って、気付かされたこの絶望感。私はキッチンに立ち尽くしてしまった。
◎ ◎
翌日から投薬が始まった。
精神科から処方される薬は何かと副作用が強い。私が処方された薬も然り。吐き気が起こり得ることは事前に説明があったが、自分が予想していたよりはるかにきつく、例えるなら二日酔いに近い。
「周囲に理解されない、薬の副作用は辛い。ああ、精神疾患ってこんなに辛いんだ...」
これまで色んな方のかがみよかがみエッセイを読んできた。精神疾患に対して上記のような意見が多い気がしたが、私もまさしく自己嫌悪に陥った。こちとら自分なりに治療しているが、人や薬などの様々な壁が立ちはだかりとてももどかしかった。
しかし運が良かったのか、薬の効果はすぐ出た。
◎ ◎
薬を飲んだ次の日の朝食。私のルーティンは、パンだろうとご飯だろうと、毎朝ミルクの入ったコーヒーを1杯飲むことだ。その日もご飯とインスタント味噌汁、そしてコーヒー。食卓に運ぶ前にキッチンでコーヒーを一口。
「あっ!」
まろやかさと少しの苦味が感じられた舌の感覚が戻っている!
それだけでなく味噌汁もご飯も、ひとつひとつの味がはっきりと分かった。
「美味しいだけじゃない!」
当たり前の大切さや、治療の効果がみられたことなど、その日のコーヒーには沢山の想いが含まれていた。
今あらゆる変動が立て続けに起きている。それまで当たり前だった習慣や考えも、わずか2〜3年で大きく変わってしまった。コーヒーとの思い出を振り返りながら、「当たり前はいつか当たり前では無くなるのか。」と実感した。私の味覚が当たり前のように在るわけではないことを教えてくれたコーヒーも、ある日突然嗜めなくなってしまうかもしれない。あの頃のように気が付いて後悔するより、今在るうちに存在するありがたさを噛みしめる必要がある、と改めて思いながらコーヒーを飲み、エッセイを書き終えた。