私が『珈琲』という言葉を聞いて最初に浮かぶものがある。それは、とあるバンドだ。彼らのバンド名には『珈琲』という言葉が入っている。なので『珈琲』という単語を見たり聞いたりすると、ついつい思い出してしまう。

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私はそんな“珈琲バンド”のファンを16年やっている。私と彼らの出会いは、私が中学1年生の頃だった。入学式早々、カースト上位のクラスメイトに目を付けられた私はその日から約3年間いじめにあっていた。

これから新生活が始まるという時にお先真っ暗な状態になり、私は途方に暮れていた。親には気を遣って、そのことを言えずに抱え込み、先生は当たり前に見て見ぬふりで、本当に孤独になってしまった。学校には行きたくないけど、いじめられているのを親にはバレたくない。でも毎日苦しい。

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そんな中1の4月半ば頃、当時流行っていたSNSでネット上の友達がいた。その友達が何気なく“珈琲バンド”を教えてくれた。すると、私はそのバンドにドハマりした。当時大好きだった原宿系のパンクファッションに身を包んだ彼らは、私の目の前に現れた神様のような存在だった。

音楽性はポップでキャッチーで聴きやすく、何より私は彼らの見た目が大好きだった。毎回クルクル変わる衣装は大好きなファッション誌を見ているみたいで幸せだった。そして私は、毎日学校に行ってはいじめられ、帰ってからは自室に籠り、彼らの音楽を聴き続けるというルーティンを送っていた。

学校でのいじめはひどく、2メートルの深さのプールに沈められたり、私が飲むお茶の中にムカデを入れられたりした。そんな日でもいつも彼らが私の支えになっていた。そしていつしか私は「彼らがいるから生きている」になっていた。

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そんな毎日を繰り返していると、ついに中3の冬に倒れてしまった。そして、親に事情を説明しなくてはいけなくなり、いじめられていることがバレてしまったのだ。そして中3の12月からは不登校になり、中高一貫の高校には上がらず、というか体が限界で物理的に全日制の高校に通えなかった。そして、心の病気の治療に専念しながら通信制の高校に通い始めた。

家から出られる状態ではなかったので、先生が家に来てくれる家庭教師のような形を取った。そして、治療と音楽に支えながら、高校2年生の時に目標が出来た。それは、いじめたやつらよりも偏差値の高い大学に行きたいということ。私が通っていた中学校は幼稚園から大学まである一貫の女子校で、みんなそのまま上に上がり、女子大に入学するのだ。

私はそれを知っていたので、その大学より偏差値も知名度も高いところを第一志望に設定した。そして見事第一志望の大学に合格した。私は鼻高々だった。でも、大学に入学しても、私は馴染めなかった。人や環境が変われば大丈夫だと思っていたが、私は中学の時の人間不信が抜けていなかった。人が恐かった。誰とも打ち解けられなかった。そして私は次第に不登校になっていった。

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完全に大学に行かなくなって3年が経った時、私は教授に呼び出された。その教授は大学の中でも偉い方だったので、怒られたり、中退か継続を迫られたりするのかなと思っていた。でも実際は違った。教授は優しく「最近どう?」と話しかけてくれた。私は別に…というような曖昧な返事をした。そして教授は続けて「大学、楽しくない?」と。私は「はい。辞めることも視野にいれています」と答えた。

すると教授は「リンチャさんは何をしている時が一番楽しいの?」と聞いてきた。私は「音楽を聴いている時か、ライブに行っている時ですかね~」とぼんやり答えた。すると教授が本棚から『ロック論』のような本を取り出してきた。

そしてそれを私に渡し、「これを読んで小論文を書いてきて。」と伝え、教授との面談は終わった。私が期日までに小論文を渡しにいくと、また呼び出され、「うちのゼミに入りなさい」と言われた。「うちのゼミは芸術を扱っているから、あなたの大好きなロックについて卒論を書きなさい」と言われた。

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私はその言葉を聞いて、先生が卒業まで導いてくれようとしてくれたことに気づき、目頭が熱くなった。私は文章を書くのが小さい頃から好きだったし、題材も大好きなロックということで、ペンがスラスラ進んだ。そして私は『ヴィジュアル系バンドが与える社会的・精神的影響』という題材で論文を書いた。

もちろん中学生の時の自分の体験もネタになった。何より自分が一番、音楽が精神的に支えてくれるものだということを分かっているからだ。そして無事私は大学を卒業した。だからと言って中学の時に負った病気は一向に治っていない。私は社会に出て、また苦労した。人の目が恐い。人と接するのが嫌だ。何かできることも思いつかない。

でも、普通の女の子みたいに働きたい。私はまた負のループにハマった。そんな時、追い打ちをかけるように“珈琲バンド”が事実上の解散を発表した。私は生きる気力を失い、自殺を図った。幸い未遂に終わったが、精神科病棟での入院を強いられた。

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私は毎日毎日死にたいと思った。“珈琲バンド”がない人生なんて生きていても意味がないのに、なぜ生かされているんだろうと毎日病棟の白い天井を見上げながら考えていた。そして、4か月が経ち、形上は退院することになったが、別に病気は治っておらず、私は入院する前と変わらない毎日を過ごしていた。

でも、やはり変わりたい、自分を変えたい気持ちはあった。そこから本を読んだり、やりたいことやできることを探したり、積極的に自ら行動を起こして徐々に自分が変わっていった。すると、その“珈琲バンド”が復活するという朗報が入った。

私は腐らずに何度も立ち上がって良かったと思った。それと同時に彼らが「よく頑張ったね」と言ってくれているような気がした。彼らは今も現在進行形で活動を続けている。私は今でも彼らが大好きだが、病的に依存せず、程よい距離感で応援できている。それは、彼ら以外に生きがいや楽しいと思える仕事を見つけられたからだ。私はこれからも彼らと一緒にゆっくりと歩んでいきたいと思っている。