私は人生で、幾度となく夜更かしや徹夜を繰り返してきた。時にはテスト勉強に追われて、時には次の日のバイトからの現実逃避、なんとなく寝るのがもったいない、という日もあった。

特に多いのが、「今日をこのまま終わらせたくない」という思いからくる夜更かしである。「今日」に納得しておらず、できるだけその日を引き延ばして「今日」を生きた証、生きた意味を作り出そうとする。しかし結局、ダラダラと特に興味もないゴシップ記事や漫画を読むうちに夜が更け、そのまま寝落ちしてしまう。そして寝ぼけて起きてきた母から「まだ起きてるの、早く寝なさい!」と言葉の拳骨を喰らい、いじけてベッドに潜り込んで、朝寝坊するのがオチだ。

◎          ◎

特に冬場は、コタツに入ったまま寝落ちし、深夜4時にのそのそと起きてベッドに移動するも、結局昼の11時まで寝てしまうことが多々ある。コタツで眠った時間は身体には睡眠時間としてカウントされていないから厄介だ。

その日1日でやりたいことをある程度でき、その日に納得していても、「寝るのがもったいない」という気持ちに苛まれることがある。寝ようとベッドに入っても、あれもやりたい、これもやりたい、とやりたいことが次々と思い浮かぶ。そして結局、朝すぐに捨てられるようにゴミをまとめたり肌の保湿をしっかりめにしたり、メールの返信等をしているうちに、早寝しようとした夜も12時を回ってしまうことがしばしばだ。そして夜更かしをすると当然、朝は眠く、起きる気力が湧かない。

夜は寝たくないのに、朝は起きたくない。そんな矛盾した気持ちを持ち合わせているのはきっと私だけではないだろう。

◎          ◎

「朝の1時間は夜の3時間」、「朝の10分は夜の1時間」。時間の効率的な使い方を謳う自己啓発本によく見かける文言がある。

確かに、朝はバタバタと1分を惜しんで準備して出かけるのに対し、夜は時間がゆったりと流れている気がする。カップラーメンの湯待ちをしているとき以外、1分1秒を気にすることはほとんどない。永遠に続くメルヘンな世界を生きている感じもする。

私は過去に何度も、夜更かしさえすれば、徹夜さえすれば、溜まった課題もテスト勉強も完了できるものだと勘違いしてきた。テスト前日に徹夜して勉強すれば、やろうと思っていた範囲の勉強を一通りこなせ、テストでもいい点をとれるものだと過信していた。夜の数時間を過大評価し、夜にさえなればやる気がみなぎって、ものすごい集中力で英単語や年号を頭に叩き込めるボーナスタイムだと思い込んでいた。しかしそれは、勉強から逃避してあっという間に溶かした日中と連続していて、同じように流れる数時間で、自分という人間も何ら変わらないのに。

◎          ◎

むしろ夜の時間帯は眠気という強敵が襲い掛かり、判断力も集中力も記憶力さえも削がれてしまう。その時間帯を充実させるには、日中を充実させるよりももっと自己コントロール力が必要とされるように思う。人によっては夜のほうが勉強もはかどるという人もいるが、私の場合は朝早く起きたほうが圧倒的にはかどる。12時前には寝て朝早く気持ちよく起き、散歩から始まる日々を送りたい。

私は今まで、夜更かしして充実したことは一度もない。でもたまにはしたいとも思う。

これまでのように、追い詰められた末の「理想と現実の狭間」のボーナスタイムとして過ごすのではなく、好きなことを好きなだけ考えれば良い、気持ちの良い自由な夜更かしがしたい。昼間は話せないようなディープな話を友達と一晩中語り尽くしたい。そのまま寝落ちするのもいいし、自分の意志で眠るなら、「今日も良い1日だったな」と「今日」に思いを馳せながら眠りにつけたら最高だ。