我が家の台所は家を建てる時、わたしが色を決めさせてもらった。黄色のシンクに、白い流し台、オレンジのタイルと壁。特別好きな色というわけではないが、元気が出るのでよく身の回りに置いている配色なのだ。家ができる前、どんな台所になるのか毎日毎日イメージしてはドキドキしていた。そして、いざ出来上がった我が家。台所を見て、本当にうっとりしてしまった。自分の決めた色合いがこんなに可愛くて素敵になるとは思わなかった。とニコニコしてしまった。
住み始めてからは毎日、仕事から帰ってきて自分の場所で料理をするのも楽しかった。休みの日に、趣味のお菓子作りやパン作りをするのも、自分のお気に入りの場所でできるのが嬉しかった。
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数年経つと、不妊治療が始まる。自己注射をしなければならず、不安で台所の隅で小さくなりながら毎日刺していた。時には朝、基礎体温を測ってその月は失敗だったと知り、1人台所でうずくまって泣いた日もあった。
一年で奇跡的に妊娠した。妊娠すると、今度は妊娠糖尿病が発覚。食事制限の日々。苦しくて辛くても、大好きな台所で悩み悩み、献立を考えたりたまに誘惑に負けてつまみ食いしたり頑張った。
出産後は、長男がダウン症だったこともあり、ほとんど母乳を飲まずミルクを飲んだ為、ミルクの準備に昼夜台所へ走った。少し悲しい気持ちになりながら搾乳した母乳も「バイバイ」と台所へ捨てた。子供が大きくなっていくと、離乳食作り。職場に復帰したため、作り置きの離乳食も作った。たまに長男がぐっすり眠っている時、夫と晩酌をするためにおつまみを作って、乾杯して飲んだりもして楽しかった。
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2人目を自然妊娠してからはなかなか大変だった。長男を産む時、切迫早産でNICUのある大きな病院へ救急搬送された為、次男も大きな病院で産むこととなった。しかし、そこの妊娠糖尿病の栄養指導がとてもきつく、心が病むほどに苦しかった。一食400キロカロリーとは、100グラムの玄米と、サラダチキン、サラダ、味噌汁くらいだった。もともと食べることが大好きなので、とても辛くたまにおやつを食べると血糖値が高くなってしょんぼりした。そして、1人目が切迫早産だったため、シロッカー手術をしており、いちいちドキドキしながらの生活。長男の妊娠中とは違って幸せを感じにくい生活が続いていった。
やっと出産したのだが、長男の保育園とトラブルがあり保育園から半ば無理やり不当に追い出される形で退園することとなる。わたし自身保育園からの威圧的な態度でとても怖い思いを沢山して、精神を病み、双極性障害となる。子供2人を抱えて動くに動けない生活が始まり、大好きな台所の近くで自殺未遂しそうになった日も、自傷した日も、眠れない夜に台所で小さな灯りをつけて明日への不安に泣いて起きていた日も、朝誰よりも早く目覚めて1人ぼんやりコーヒーを飲みながら自分の存在価値を思った日もあった。そうして、もう限界だと感じた夫の判断で、夫の実家で面倒を見てもらうことになる。大好きな台所とは2ヶ月離れ離れとなる。
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他人の家でお世話になるというのは、本当に助かり、ありがたい反面、とてもお互いに気を使い、嫌な思いをする。しかも精神を病んでいる状態でそのような環境にいると、だんだん症状まで重くなっていく。2ヶ月お世話になった最後は、半ば無理やり次男と2人だけで帰ってきた。長男は、保育園に行けないため、面倒を見切れる自信がなかったので、本当に申し訳なかったが置いてきた。帰りの車ではチャイルドシートに生後数ヶ月の子供を乗せて、泣きながら走ってきた。我が家につき、台所で一息ついた時、どれだけホッとし、そして長男への罪悪感を感じたことか。
あれから2年経つ。次男はとても素敵な保育園の年長さんへ。長男も同じ敷地の、これまた素敵な幼稚園の年中さんへ。とても平和な生活を送っている。しかし、あの時、双極性障害を患ったことで、私は薬と一生生きていく事となった。今でも感情の波があり、台所で泣いたり怒ったりしている。毎夜、寝る前に台所で小さな灯りをつけて、ゆっくり薬を確認しながら飲んでいる。そして、台所の電気を消す。変わらず黄色のシンク、白の流し台、オレンジの壁のビタミンカラーの私の居場所におやすみをして、泥のように眠っている。