昔の私を知っている人たち、特に地元の知り合いによく言われる。

「継実って、そんなに美術館好きだったっけ?」

たしかに、昔はさほど興味がなかった。そもそも身近に美術館や博物館といったミュージアムがなかったため、無縁のものだと思っていた。幼い頃から好きだったジブリの巡回展が近隣で開催された時に2回ほど訪れた程度だ。

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ミュージアムに関心を持つようになったのは、大学進学がきっかけだった。大学の友人と遊びに行く際、ミュージアムに連れて行ってもらう機会が増えた。学生証を見せると学生料金が適用され、さらに一部のミュージアムは無料で入館できる。関東に進学したこともあり、ミュージアムの母数が多いだけでなく、特別展や企画展の情報を簡単にキャッチできる。

入学したての頃は、好きなアニメのコラボを目的にミュージアムに行くことが主だったが、次第に興味の幅が広がった。ゴッホやモネといった印象派や古代文明、歴史を動かした文書など、ミュージアムでの鑑賞を通して受験勉強にはなかった知識を得られることが楽しくて仕方がなかった。現代美術や考古学など、難しいと感じる分野はあるものの、ネガティブな感想を受け入れてくれる「美術」や「博物」といった存在に、無意識に救われていた。

次第に一人でミュージアムに足を運ぶことが増えた。用事があって出かける際は、行き先の周辺にミュージアムがないかチェックする。見つけて「行きたい」と思ったら、帰りにそこへ寄り道する。そんな生活を繰り返していた。

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進路に悩んでいた大学4年のある日のこと。就職活動や人間関係、学業など大きな悩みを複数抱えていた。たしか企業説明会の帰りだっただろうか、気がついたら東京国立博物館(トーハク)に向かっていた。私の大学はキャンパスメンバーズに含まれていたため、学生証を見せるだけで常設展を無料で鑑賞できた。

普段なら解説を含めてじっくり鑑賞するのだが、その日は常設展示室をぶらぶら歩いていた。そして、水墨画が展示されている部屋のソファに座り、水墨画を見ながらぼーっとしていた。モノトーンの物静かな水墨画を見ているだけなのに、なぜだか心が安らいでいく。「たくさん悩んでもいい」と不安定な私を包み込んでくれる。以降、時間が空いた時だけでなく、落ち込んだ時や癒されたい時にトーハクを訪れるようになった。どんな私でも、黙って受け入れてくれる。トーハクは私の居場所になった。

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社会人になった今も、月に2回はミュージアムに足を運んでいる。

先日、とある美術館の特別展に行ったのだが、SNSか何かで話題を呼んだのか、開館前にも関わらず入り口に人が溢れかえっていた。急遽予約システムを導入したほど人気だった。展示内容に興味があったため楽しみにしていたが、正直「行かなくてもよかったのでは?」と思ってしまった。溢れる人、なかなか進もうとしない人、カメラを構える人…人に酔いやすい私は早足で特別展示室を抜け出した。十分に鑑賞できずイライラしてしまった自分に嫌気が差した。

せっかくだからもう少し美術館にいようと思い、常設展示室を訪れた。部屋に入った途端、常設展示室の静かで穏やかな空気に包み込まれた。それまで2、3回程度しかここの常設展を観たことがなかったのに、「おかえり」と言われたような気がした。特別展に比べて、常設展は圧倒的に人が少なく、心が落ち着く。

常設展と言っても定期的に展示品を入れ替えているため、「初めまして」や「お久しぶり」の収蔵品との出会いは楽しく、「お休み中」の収蔵品にも思いを馳せる。そして、大きな絵画の前の椅子に座り、ぼーっとする。特別展も魅力的で素敵だけど、常設展のあたたかさが私は好きだ。私の居場所リストに、この美術館の常設展示室も追加された。

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ミュージアムに行かない日も、「次はどこ行こうか」「この特別展は絶対行きたい」「トーハクでリラックスしたいな」など、必ずミュージアムのことを考えている。しかも現在、ミュージアムで働いている。社会に馴染めずストレスを感じやすい私だが、職場がミュージアムというだけで頑張れる。そして、安らぐ瞬間を見つけられる。

私たちの居場所が、今後も存在し続けますように。この願いのために、今日も私は働く。