日々の喧騒から離れ、徒然なるままに言葉に身を委ねたとき、私は密かなときめきを覚える。小さなさえずりのような言葉、仄暗く惨めな言葉、ずしりと心の底に響く言葉。それらは皆、本と呼ばれる箱の中にひっそりと閉じこもっている。

◎          ◎

彼らはとても引っ込み思案で、決して自ら姿を顕にすることはない。我々が静かにコンコンと扉を叩き、表紙をめくらない限り、彼らは姿を見せることはない。けれど、彼らには秘密の声がある。

図書館。本屋。そこは言葉の宝庫。誰にも邪魔されず、ただひたすらに言葉と真正面から向き合うことのできる唯一の空間。言葉に溢れたこの世界で、これほど言葉に愛を注げる場所はあるだろうか。これほど言葉を自由に扱える場所があるだろうか。

本棚にズラリと並べられた本たちは、身動き一つ取らずその場に佇んでいる。誰かが手を伸ばし、一人、また一人とその棚から抜き取らない限り、永遠とその場に身を沈めている。それはまるで眠っているかのよう。けれど油断大敵。彼らはただ静かに黙って我々を見つめているわけではないのだ。

◎          ◎

言葉というのは、抱えきれないほどの自由を秘めている。きっと日々の生活の中であなたも感じたことがあるでしょう。それは我々が発する言葉にしろ、本に刻まれた言葉にしろ、どんな言葉でも同じ。そしてそれは”言葉”自身にも言えること。え、どういうことかって?本棚に向かってじっと耳を澄ましてごらん。ドタドタ…バタバタ…カサカサ…ザワザワ…色んな声が聞こえて来ぬか。

それこそ彼らの本当の姿。静かに佇み、引っ込み思案な性格だなんて囁かれてるそんな姿は化けの皮。バレぬように皮をかぶるのが上手なだけ。つまり彼らは陽気で、軽快。やんちゃ。実に面白い。だんだん本当の姿を目にしたくなってきたでしょう?

しかし一点気をつけておくべきことが。彼らがこの姿を見せるのは、本当に一瞬だけ。そのチャンスを逃せばしばらくは見ることができないだろう。彼らは隣の本からさらに隣の本へと、言葉のかけっこをして遊んでいるのだ。けれどそれは本来許されざる行為。読者に気づかれぬよう、足早に隠れてしまう。我々にできることがあるとすれば、息を潜め、辛抱強く、ただその時を待つ。それだけだ。

◎          ◎

ここまでつらつらと嘘か誠かわからぬようなことを並べてきたわけだが、私はこの姿を信じている。言葉というのは誰かが発する度に意味を変化させる、実に興味深い遊び心を持っている。どうしてそんなことができるのか、ほんの少しだけ考えてみてほしい。答えは単純明快。言葉と言葉が本の中でぶつかり合い、走り回り、その都度新しい意味をその体に蓄えていくから。そんな彼らの姿を見つけると、私は心底ときめかずにはいられないのだ。

言葉を愛し、言葉に愛される場所。言葉が本当の姿を見せ、私が心を許せる場所。居心地のいい、というのとは少し違うかもしれないが、それこそ私自身が棲みつく処。私が生きたい場所なのだ。