私は、アフリカの島国に住んでいる。
小さい頃からアフリカで働くのが夢だった。

「あと少しで夢に届きそう」と思いながら届かない日々。
私は、自分に自信がなかった。経験もキャリアも言語も人柄も。
だから、たくさんの人の力を借り、ボランティアとして日本を旅立つことにした。

◎          ◎

「金をくれ」

空港の両替所で、小さな子供に言われた。断ると、鬼の形相で睨みつけられた。背筋が凍った。

日本では、当たり前のように撮影したいものはスマホで撮影できた。
トイレに行きたくなったら数多くの衛生的に申し分のないトイレが利用できた。
電気が止まることも、水道から水がでなくなることも自然災害以外は経験しなかった。
お金を払えば、暇を紛らわすエンターテイメントにもあふれていた。

しかし、ここには一味も二味も変わった世界がある。
路上で売られているプライスタグの無い商品の品定めをし、価格交渉をする。
進み始めた、すしずめ状態のバスに走り乗り、自分の席を必死に確保する。
道路では牛が堂々と道を歩む。彼らの落とし物を踏まぬよう、慎重に歩く。
「新しい出来事はなんかあるか?」と挨拶のように見知らぬ人が話しかけてくる。
結局、不意打ちのように悪意のない展開で、落とし物を踏むことになる。
大自然がある国でありながら首都では、感染症よりも大気汚染が深刻でマスクをする人々。

日本の野球観戦でよく見かける、背中にビールサーバーを担いだ商人はここにも存在する。
若い青年が中心で、デニムパンツにTシャツ姿で国道沿いを歩き、独自のスタイルのお茶を売り歩く。女性は、頭の上に乗せたポリバケツいっぱいにサモサや油菓子を詰めて、市場を売り歩く。
先祖を祭るため、楽器を演奏し、軽快なリズムで墓の周りを何時間も踊ることもある。
時には、人種が違うが故に、悲しい言葉が降りかかることもある。

ここには、外国人価格も存在する。

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この村の人々は不思議だ。
見ず知らずの外国人の私に向かって突然、「今からうちでご飯を食べない?」と言ってくれる。
大量のお米と共に工夫して調理されたお野菜のおかずを一緒に食す。
お金も求められない。「次はいつ来るんだ?」そう言って微笑む。
その場で語り合いたいこともあったのに、うまく言えなかった。

そんなある時、異国の地で発熱。全身の倦怠感。呼吸器が正常に働かない。私は外出が難しくなった。
すると、私の異変に気付いた近所の人が果物を届けてくれたことがあった。
伝えたい想いはたくさんあった。
しかし、現地語で「ありがとうございます」しか言えない自分がいた。

「私は何をやっているんだ」そう思いながら目の前の出来事を心のカメラに収める日々。
経験もキャリアも言語も人柄も満たない私に、いつかこの地の誰かに恩返しのできる日が訪れるのだろうか。