河口湖から桃の産地笛吹市へ続く峠道。富士山を背に時折エンジンブレーキを使いながら、急なカーブを下っていく。お墓参りや親戚の家へ行く途中の車内。
祖父はいつもコーヒー味の飴をなめていた。
単純に好きなんだと思っていた。
ピーナッツバター味のランチパックと銀色で三角形の包み紙に入った飴玉。
祖父が出かけるときのお供はその二つだった。

当時はまだ涼しく過ごしやすかった夏の日。
私たち姉妹は後部座席でキャーキャー話しながら、たまに喧嘩をしながらも、祖父母と出かけるのがとても楽しかったのを覚えている。

だけど、祖父が飲み物を飲んでいる記憶はほとんどない。
「おじいちゃんはトイレが近いから」
祖母がそう言っていた記憶はなんとなくあるけど、当時まだコーヒーを飲んだことがなかった私は、どうしてコーヒーを飲むとトイレに行きたくなるのかがわかっていなかった。
祖父は寡黙だったから特に反論もせず、ただ前を向いてハンドルを握っていた。
一粒もらったコーヒー飴は、小さかった私にはただ苦いだけだった。

◎          ◎

「無理しなくていいから少しスピード上げて」

「おおおお……」
高校を卒業した春、ほかの多くの人たちと同じように私は車の教習所に通っていた。上に引くタイプのハンドブレーキを力いっぱい引いてしまい、坂道発進ができなかった。
仮免許を何とか取得できたものの一般道を走るのが恐ろしかった。
そんな運転ド下手くそ+びびりな人間が高速道路教習なんかしたらどうなるか。当然スピードは出さないし、なかなか車線変更もできない。暖かな春の日差しに似合わない滝汗をびっしょりかいて、ここだけの話ちょっとちびってさえいた。

「最初は怖いけど、慣れればコーヒー片手に運転できるよ」
「「「……」」」
さらっと話す教官と対照的に、私を含む三人の仮免ドライバー達はぐったりしていた。
自分が気を付けていても歩行者の飛び出しや高齢者の逆走など危険はたくさんある。
免許取得後十年たった今でも「コーヒー片手に運転」なんて夢のまた夢だ。

ふと気づく。
祖父がコーヒーではなく飴をなめていたのは、祖父なりの愛情だったのではないか。

◎          ◎

あの時七十代だった祖父からしたら、きっと長時間の運転は疲れただろう。
後ろには大人しくできない孫娘が二人、集中力をそいでくる。カーブが続く険しい山道。運転を経験してからは、想像しただけで神経をすり減らしてしまう。

うとうとしてしまうこともあったかもしれないが、つるつる滑る缶コーヒーを飲む余裕はなかったと思う。
あの飴にカフェインが入っていたかは定かではないが、きっと祖父にとっては安全に摂取できるコーヒーだったのかもしれない。

忘れていた。
思い出した。
おじいちゃんは、優しい人だった。

娘を抱っこして行ったスーパーで、久しぶりにコーヒー飴を見た。同じものかはわからないが、銀色で三角形の包み紙が懐かしい。授乳中のため普段コーヒーを控えているが、飴ならいいだろうと思い購入。
祖父の運転に揺られてなめた時と変わらない香り。
祖父との思い出を思い出しながら、今は苦みの中に甘味を感じている。