「まりちゃん、本当に料理の手際良くなったね」
ふとしたときに言われる夫のそんな一言を聞くと、私は鼻の下をこすりたくなる。「えっへん」「そうでしょう?」と。

まあ、元がダメすぎたから伸びしろが大きく感じられるだけというのもある。昔の私はとにかく要領が悪かった。私が本格的に料理をするようになったのはひとり暮らしを始めた頃からで、初期のトロさは目も当てられなかった。週末には4〜5品のおかずを作り置きしておく生活を送っていたが、一体私は何時間キッチンに立ち続けているんだろうと、途方に暮れそうになったことが何度もある。

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同棲を始めた頃も、長い長い料理時間を遠回しに彼から指摘されたことがあった。おそらくそのときから、私のなかのスイッチが強く押されたのだろう。「絶対にもっと早く作れるようになってやる」と。

そんなわけで料理の腕は上達している(と思いたい)が、何故かそれとは反比例しているものが、家事のなかで1つある。

掃除だ。

料理とは一転してスピードが遅くなっている…というよりも、そもそもやる気がまったく起きない。なぜこんなにハードルが上がってしまったのだろう。 「明日やろう」とは確かに思うのだ。けれど蓋を開けてみれば、思う“だけ”の日々がひたすら積み重なっている状況。「明日やろうは馬鹿野郎」とはまさに私のことだなと、一応自覚はしている。

「ひとり暮らし時代は、意外とちゃんと掃除してたんだよ」
私は何かにつけ、夫の前でそう口にする。何だか言い訳めいているようだけれど、「やればできる」をアピールすることくらいなら、馬鹿野郎な今の私でもお安いご用だ。ただ案の定、「僕と一緒に暮らし始めたら掃除がおろそかになったってこと?僕のせいだと言いたいのかい?」と夫からはすかさずブーイングが飛んでくる。

言ってしまえば彼もそんなに整理整頓が得意なタイプではないが、かと言って部屋を散らかし放題にしているわけでもない。 掃除から手が遠のいているのを彼のせいにするつもりはない。ただ、おそらくひとりだった頃は、ひとりでいる分、自分をある程度強めに律していかないとあっという間に堕落してしまうのが想像できたから、サボらずに身の回りを綺麗に保つよう心がけていたのではないかと思う。

対してふたり暮らしの今は、ひとりのときには感じ得なかった安心感を安定して抱けている。その安心感は基本的に良い作用をもたらすものではあるものの、力が抜けているが故の「緩み」はどうしても生まれる。家事における緩みが、「掃除のサボり」として現れているのだと思う。

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家事の分担がある程度決まっている我が家では、長らく「掃除=私担当」だった。ただ、在宅ワークの私と99%出社で残業も多い夫とでは、どうしても家事の比重が私のほうに大きく傾いている。それ自体は致し方ないことだと思ってはいたが、あるときから夫が「僕、普段なかなか家事できてないから、水回りの掃除やるよ!」と手を挙げてくれるようになった。私は掃除のなかでも、水回りへの苦手意識を特に強く抱いている。夫の申し出は非常にありがたいものだった。

そんな彼の姿に触発されて、自分にも掃除のやる気スイッチが入ってくれるはずだとほんのり期待していたが、それでもなお腰は軽くならない。とはいえ、床に関しては某お掃除ロボットに任せている。人的労力は基本的に要らないものの、少し前から専用アプリに表示されているエラーメッセージをどうにかしないと、ロボットに床を走ってもらうことができない状況に置かれているようだった。おそらく内部の何かを交換しないといけないらしい。これに関しても「明日やろう」を積み重ね、例の馬鹿野郎が生み出されてしまっている。

「まりちゃん、最近床のお掃除してないでしょう」と先日夫から指摘され、「バレたか〜〜ごめんね〜〜」と慌ててクイックルワイパーでホコリを回収した次第だ。

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掃除は、やらない日を積み重ねれば積み重ねるほど腰が重くなっていくと頭ではわかっている。どんなに面倒でも、一旦手をつけさえすれば、掃除を終える頃にはそれなりの達成感を感じられるのも同様にわかっている。理解はしているのに、一向に行動が伴わないという日々の悩み。

ちなみに今日は土曜日、夕方と夜が混ざり合っている頃合いだ。平日同様仕事はしていたものの、ちょうど少し前に一段落がついた。スケジュール的に、どうやら明日も少し余裕が生まれそう。

必要以上に緩んでしまったものは、きゅっと締めないといけない。よし、明日掃除をしよう。まずは、例のエラーメッセージの原因と対峙しよう。こうやって言葉にすることは、宣言代わりにもなる。

にもかかわらず、またも明日の私がサボり散らかしていたとしたら、そのときは“大”馬鹿野郎を自称しようと思う