仕事がない日の朝、父はリビングで新聞紙をめくりながら熱いそれをちびちびとすすっていた。

お茶菓子をテーブルに広げていることも時折あり、パジャマ姿のわたし(7)は「食べてもいい?」とクッキーやチョコレートに手を伸ばした。父のマグカップに入っている飲み物は、香りですぐに「コーヒーだ」と分かるのが常だった。子どもながらに、なんて香りの存在感が強いのだろうと思った。

かたや、母がお昼ごはんのパンやデザートのお供にするのも同じくコーヒーだった。

単純な好奇心で、「ひとくち飲んでみたい」と母に申し出たことがあった。しかし口に含んだ途端、好奇心に任せた自分の行動を後悔した。それは信じられないくらい苦くて、思わず顔が歪んだ。こんなに苦い液体を飲みながら食べるなんて、とびきり甘いせっかくのケーキが台無しじゃないかと、わたし(7)は思った。

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でも、大抵の大人はさも美味しそうにそれを飲んでいる。不思議でならなかった。

だからこそわたしは、あの独特の存在感を持つ香りが鼻先をかすめると「大人の匂いだ」と反射的に感じた。同時に、ひとくちが限界だったとんでもない苦みも蘇ってきてしまい、「まずい」「きらい」といったマイナスなワードが頭の中をあっという間に埋め尽くす。子どもには到底飲むことのできない代物だと思った。

ただ、成人を迎えて名実ともに大人になっても、わたし(20)はコーヒーを飲めるようにはならなかった。砂糖やミルクを入れれば飲めないことはなかったものの、「美味しい」とは思えなかった。子どもの頃から酸っぱい柑橘類を好んでいたわたしは、大人になっても変わらずグレープフルーツジュースを飲食店で注文し続けた。

「見た目は大人、味覚は子ども」。某アニメのパロディのようなコピーを自らに付していたわたしだったが、いつからか、コーヒーの香りに対する意識が変化した。

ある日、カフェの店内に入ったときのことだった。

扉を開けると同時に、ふっと漂ってきたコーヒーの香り。反射的に「良い匂い」と感じた。そしてそんな自分に驚いた。大人の匂いだとは確かにずっと思ってきたけれど、それを「良い」と主観的なポジティブさをもって捉えたことは一度もなかったからだ。

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もしかして、子どもの頃は苦手だったピーマンがいつの間にか食べられるようになったのと同じように、コーヒーも実は飲めるようになっているのだろうか。

久々に好奇心が疼いたわたし(24)は、思い切ってコーヒーにトライすることにした。砂糖もミルクも入れていない、どこまでもビターであろうブラックコーヒー。

(飲める、飲めるぞ……!?)

 美味しい、というよりも、感覚は「落ち着く」に近かった。確かにこっくりとした苦みは口いっぱいに広がったけれど、それを嫌だとは感じなかった。むしろ、ほのかな甘みがある微糖のコーヒーよりも好みかもしれないとすら思った。

わたしは嬉しかった。何なら、初めてお酒を飲んだときより「ああ、大人になったな」とはっきり感じることができた。

その頃のわたしは転職活動中で、面接官に「最近嬉しかったことは何ですか?」と聞かれた際、「ブラックコーヒーが飲めるようになったことです!!」と意気揚々と答えてしまうくらいには、嬉しかった。

以来、カフェでひと休みするときも、家で「温かい飲み物が飲みたいな」と思ったときも、もっぱらコーヒーを選ぶようになった。自宅で飲むのは手軽なインスタントコーヒーだったけれど、それでもわたしはほっと心を落ち着けることができた。

しかし、わたしはコーヒーが飲めるようになっただけであって、コーヒーについての知識はゼロに等しかったということをのちにひしひしと実感する。

それは、前職の会社に入社したときのことだ。多業種展開している会社であり、メイン事業のひとつが自家焙煎珈琲店の経営だった。

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普段仕事で使うオフィスは雑居ビルの2階の隅にあり、同じビルの1階のテナントに珈琲店が入っていた。私自身の業務は店舗運営とはあまり関わりのないものではあったが、用事があって店に出入りすることも少なくはなかった。

オフィス内にこもりきりだとよく分からないが、外階段を駆け降りて店に近づくたび、いつも驚かされた。店の外にまでくっきりと漂っている、深くて濃いコーヒーの香りに。

この香りにつられて、たまたま通りかかったお客さんが店を訪れることもあるらしい。そう上司から聞いた。 

店舗運営に関わっていないとはいえ、日頃の自分の業務はコーヒーと無関係と言い切れるわけでもなかった。何の知識もないわたし(26)に、上司は時々コーヒーのことを教えてくれた。

珈琲豆にたくさんの銘柄があることも、豆の煎り方や挽き方によって風味が変わることも、それまでは全く知らなかった。特に会社で経営していた店は、コーヒーのグレードの中でも最上級のスペシャルティ品質に特化したものを扱っているということを上司は誇らしく語っていた。

仕事の合間には、上司がその質の良いコーヒーを淹れてくれることもあった。

コーヒーの良し悪しを判断するにはまだ経験値の足りないわたしに、その味の魅力を言語化するのは難しかったけれど、それでも間違いなく美味しいことだけは分かった。美味しい以上に、信じられないくらい飲みやすいと思った。

入社して約1ヶ月半後には、日本最大級のスペシャルティコーヒーの祭典・SCAJというイベントに業務の一環として足を運んだこともあった。国内外から業界関係者が大勢集まってくるというそのイベントは、コーヒー初心者のわたしにとってはどこまでも未知の領域だった。終始目を丸くしていた。 

すでにこの仕事からは退いているものの、子どもの頃はコーヒーに対してあんなに苦手意識を抱いていたのに、それを克服し、さらには想像以上に奥深い世界を垣間見ることができた。わたしとコーヒーの縁は、思わぬ形でゆるく繋がっているらしい。

さて、この縁が向かう次なる場所は。