いつだったか流行った「人生やりたいことリスト100」。その名の通り、人生でやりたいことを100個考えて、ただ羅列するだけなのだが、不思議なことに、これらが次々と実現していくらしい。
昼下がり、ふとこのことを思い出して、リスト作ろっかな〜とかって言って、離れて暮らす親友にLINEを送った。

やりたいことなんて挙げ出したらキリがない。だから、今私がやりたいことといえば、「人生でやりたいことリスト100を作ること」なのだ。その親友からは、「やりたいことなんて1つもない」と返信が来た。

◎          ◎

私は地方で暮らす22歳で、本来であれば新社会人の歳。しかしまだ大学生として自堕落な生活を送っている。理由は去年1年間、大学を休学したためである。

ギリギリ1年の時はコロナに被っておらず、対面で大学に通えていたので、話せる友人は数人だがいた。それでも地方の、田んぼに囲まれた実家で、外に出ず、人にも会わないという生活は非常に堪えるもの。どんな楽しい大学生活を送ろうかと期待して迎えた10代20代、私と同じように心を病んだ学生も多いと思う。

外出自粛とその解除が繰り返された2021年、私が大学3年の時期はピークで苦しかった。元々考えすぎる性格ではあったのだが、春から就職活動の準備が始まり、自分や自分の環境について無理やりにでも向き合う必要があった。

◎          ◎

自分の得意なことはもちろん、苦手なこと、何ができて何ができないのか、それが何故なのか、どんな経験をしてきて何を思ったか、全てを振り返る必要があった。

このような活動を就活生の間では「自己分析」と呼んでいる。これらを面白おかしく企業にアピールしなくてはならないと思うと、まあまあ気持ち悪いプロセスだ。

その過程で、私は特大の家庭コンプレックスを抱えていることに気がついてしまった。両親は優しく家族仲も悪くはなかったのだが、私はずっと家族を信用していなかった。
幼い頃から、親からやれと言われたことに従ってなんでもやって、やるなと言われたことは絶対にやらなかった。そうでなければ怒られた。私の希望を言う隙などなかった。
親から怒られないため、私は言われた通りに勉強し、そこそこの成績を維持しながら地元の国公立の大学に入り、家計に負担のないよう1人暮らしもせず実家に残った。母親からはいつも「やればできる子」と言われた。

考えてみれば、それまでずっと私の意思はどこにもなかった。自分で人生を決めていいと知らなかった。私立の高校に入ってもよかったし、関東の大学に行ってもよかった。興味のある芸術や創作の専門学校に入ってもよかったし、進学せず働いてもよかった。

しかし私は、大して勉強せずに私立の高校を選んだ友人を、関東の私立大学を志望校に決めた友人を、美大進学のために浪人を選択した友人を、本当に不思議に思っていた。

今になって思う、彼らには意思があった。

◎          ◎

だから就活で私は苦しんだ。今まで1度もしたことがない、「やりたいこと」を考えるという行為。それも人生を左右するとも言われる重要なタイミングで。
私には考える時間が、自分だけに向き合う時間が十分に必要だった。甘えた話かもしれないが、本当に約20年もの間、自分がやりたいことをやっていいと知らなかったから。

そして休学した。1年間は、私に何かと人生の指示をしてくださっていた親元を離れ東京で1人で暮らした。
大学、地元、親といった私を縛った数々の呪縛を取り払ってみたら、やりたいことは山ほどあった。私のやりたいことを認めてくれる人もまた。

おそらく、私が苦しんだのは、自分のやりたいことを認めてくれる人が周りにいなかったからだ。「周りのせいにするな!自分のせいだ!」という意見もそれはそれとして。

私が苦しんだのは誰が何と言おうと、環境のせいだ。認めてくれる環境は、自分で見つけなきゃいけないと学んだ。

だからこそ、私は「やりたいことがない」と言い切る親友を認め、愛したいと思った。私が救われたのはそういう存在だった。

良いと思うこと、必要なことは、誰にとってもそうというわけではない。それでも私が良いと思うことを、誰かにもしてあげたいと思ったのだ。彼にとって必要かはわからないが、とりあえずリストの1つ目は、「親友のやりたいことを見つける」にして、またLINEを送った。