今晩を乗り切れば何か変わるんじゃないか。そんな期待とは裏腹に
2019年冬、突然ベッドから起き上がれなくなった。
過食が始まり、お腹が痛くて動けず、涙が溢れるまで食べ物を手放さぬ私の手。それでも夜中、空腹になると腹痛が始まり目が覚める。
仕事から家に帰る。アパートのドアを開けると堰を切ったように涙が溢れてくる。
眠れぬ夜。ベッドに入り、瞳を閉じて8時間。2時間睡眠で仕事へ向かう。
内科へ行き、心療内科へ行き、うつ病と診断される。
パニック発作が始まる。湧き上がる怒りと恐怖から、壁を殴り、腕を切る。
それでも明日はきっと良くなってくれるんじゃないかと……。
今晩さえ乗り切れば、何か変わるんじゃないかと……。
期待とは裏腹に、状態は悪くなるばかり。発作は消えず、過食は止まらず。焦りと苛立ちで悪化する自傷行為。言葉にできぬ哀しみと伝えきれぬ想い。解ってもらえぬ胸の痛みが、いつの間にか私の心に、ぽっかり穴を空けていた。
愛が送られて来ようとも、幸せがやって来ようとも、大きく空いたその穴から全てこぼれ落ちていくようだった。
4時間の道のりを来てくれた親友。「助けて」に差し出された多くの手
親友へ夜中に送った1通のメール。
「しんどい。助けて」
詳しい状況を知らぬ彼女から、すぐに返信が来た。
「わかった。明日そっち行く」
4時間かかる道のりを、運転して来てくれた。
何も聞かず、ただそこに居てくれる。それがどんなに有り難く、どんなに心強かったことか。
もうだめだと思った。
もう終わらせてしまおうと思った。
誰も助けてはくれないと思った。
母が言った。「代わってやれないことが苦しい」。
姉は、「あなたが苦しんでると思うと、涙が出る」と言って泣いた。
父は、多くは語らず、私の手を握った。
薬がなければ一人で生活さえできない私。
泣き叫んで自分を傷つけなければ、越えられない夜。
人に助けてもらわなければ、眠りにさえつけない情けない私。
それでも「助けて」と叫べば、差し出される手がこんなにもあった。
あれから約2年。まだ薬を飲みながらの生活。でも、弱い自分が許せなかったあの時から、少しは前に進めたように思う。
差し出されたその手を握り返さなければ、彼らにできることは何もない
戒めのように自分に言い聞かせる。
「苦しみを乗り越える過程で、差し伸べられる手がある。
あなたの苦しみに胸を痛める人がいる。それは家族だったり、友達だったり、恋人だったり、顔も知らない誰かかもしれない。
しかし、周りがどんなにあなたを想っても、助けたいと願っても、差し出されたその手を、あなたが歩みを止めることなく握り返さなければ、彼らにできることは何もない」
諦め半分。開き直り半分。情けない私も慈しんで生きていきたい。
あなたにはあなたの苦しみがあり、私には私の苦しみがある。苦しみのない人生など存在しない。そんなものは、生きていないようなものである。
勿論、それを口にしたところで、問題が消えてなくなるわけでも、あなたの胸の痛みを理解してもらえるわけでもない。
でも、どうせお互い苦しいのなら、肩を寄せ合って、共に歩いていこうじゃないか。一人より二人の方が、何だか少し……心強いじゃないか。
助けが必要なら叫べばいい。差し伸べられた手は掴んでいい。他の誰かがそれを必要とした時に、今度はあなたが手を差し伸べてあげればいい。
弱さを見せるには勇気がいる。
泣くのも勇気。
休むのも勇気。
助けを求めるのも、受け入れるのも勇気。
勇気があなたを強くする。