中にはまだ祖父母ですら元気で、介護とは縁遠い人がいたり、逆に早くに親の介護が始まってしまった人もいるかもしれないが、一つだけお願いしたいことがある。

「優しい言葉をかけてあげてね」

私自身、介護が必要な祖父母の旅立ちを、小学校から高校を卒業するまで隣の家に住みながら見守り、残り一人となった祖母ももう今では話すこともままならず、時折口を動かし笑ったように見えるくらいだ。
もちろん会話になんてならない。一方的に話して、終わりだ。
どれだけオチのある話をしても、どれだけ感動する話をしても遠くを見つめ、甥っ子の写真を見せた時たまにニコッとするだけだ。

気分転換に外出して、買い物に行って、「これが好き?」「これなんてどう?」なんて言ってももちろん無言。
人混みの真ん中で一人話して一人爆笑している自分の姿に、ふと情けなくなるけれど、それでも私はくだらなくて面白い話をたくさんする。
笑わないけれど心の中では笑っていると知っているから。

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何年か前の話、一週間ほど動けなくなったことがある。
話したいのに話せなくて、やっと言葉に出せても思っていた言葉と全く違う口の動きになってまだ話せない子供のように「うああああおえ」なんて言葉を発したり。

アイウエオ表を指差して意思疎通を図ったけれど、それすら思うようにいかず、

 "みず"

たったそれだけが中々伝わらずにイライラした。
ありがたいことにすぐに体は戻ったのと、更にありがたいことに家族は優しく、私の前で決して暴言は吐かなかった。

窓を開けて、「今日は天気がいいねぇ」だったり、 職場で起こった出来事なんかを話してくれたり。
それがすごくありがたくて、 涙がポロポロとあふれてきたけれど、「ありがとう」と言うことなんてもちろん出来ない。ただ何故か泣きながら話を聞いているだけだった。

体が使えないと持て余した神経達を使えるものに回してしまう。
つまり、音や匂いにやたら敏感になるのだ。
普段は気にしなかった風の音が聞こえたり、朝の独特の香りを感じたり。

もちろん良いことばかりではない。
私が寝たと思っている両親が、私の前で絶対に言わない本音で話している声や、近所の人の井戸端会議で私の名前が上がっている瞬間。これも普段は気にならないのにしっかりと聞こえてしまう。
それしかすることがないから。

けれどこれも勿論言い返すことなんてしなかった。
と言うより話せないのに反論なんて出来る訳がない。
寝たきりの人たちはキャッチボールの"返す"をしないだけで、"受け取る"は実はしっかりと出来ているのだなあと知ったし、よくドラマなんかで寝たきりの人に対して愛を囁いたり、親が子どもの手を握ったりするシーンがあるが、あれもきっとちゃんと届いているのだろうな。
今ではそう思う。

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正直介護は辛い。
辛いというより気が滅入る。

祖母という少し遠めな関係の介護しかしたことがない私ですらそう思うのだから、親だったりパートナーだったり、そんな近い人の介護ともなるとより一層精神的ダメージは大きいだろう。
だからこそ暴言を吐きたくなったり、不満を口にしたり、そんなことをしたくなるだろう。

けれど、反応はしなくなったけれど、何も返してはくれなくなったけれど、相手は変わらず生身の人間であること、ぶつけた不満も逆に贈った優しさも、全てしっかり受け取っているということを忘れないでほしい。

そしてどんな時も、出来れば優しい、出来れば心温まるような言葉を伝えてあげてほしい。