私がいずれ逝く時は、極力誰にも迷惑をかけずにポックリと逝きたい。
幼い頃から何となく頭にあったこの考えが、より強固なものになったのは、私が大学生の時に亡くなった父方の祖母の存在が大きいと思う。
祖母は、私が小学生になるかならないかの頃に配偶者を亡くした。それを機に認知症が進行し、一人暮らし中に様々なトラブルに巻き込まれるようになったことで、介護施設に入所した。その後、私が高校生の頃、体調が悪化したことで病院に入院した。
入院前は(何度も同じことを繰り返す以外は)問題なくできていた会話も、入院してからは寝たきりになり、周囲の呼びかけにも反応しないことが増えた。
私の母は片道一時間以上かけて、頻繁に祖母の見舞いに行っていた。
母にとって義母である祖母と母の関係は、決して良好なものではないことを私は知っていた。それにも関わらず、そこまで甲斐甲斐しく見舞いに行ける動機は何だろうと不思議だった。
私は母のことは大嫌いだったが、この件に限らず私が「意味がない」と切り捨てたくなるようなことも生真面目に取り組む姿には、呆れも混じった尊敬の念を持たざるを得なかった。ただ、時々思い出したかのように「あんたもたまにはお見舞いに行ってあげなさい」と言われ、巻き添えを食うのが嫌だった(結局逆らえず仕方なくついていくのだが)。
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私が積極的に祖母の見舞いに行きたいと思えなかったのは、祖母に対してさほど良い印象を持っていなかったことも要因ではあるが、それ以上に病室の様子が私には耐えられないものだったからだ。
いつもの病室。管に繋がれ、眠っているか無表情で一点を見つめているだけの祖母が横たわる。自分の息子すら認識できないものだから、当然私のこともわからないし、そこに私が居ることすら認識されていないことは明らかだった。ただただ虚しい空間に思えた。
不謹慎を承知で言うと、祖母は生物学的には生きていたのだろうけど、私の中ではもう亡くなっていたも同然だった。なのに、母や病院のスタッフ含め、その時生きている人たちの手を煩わせ続けていることは、生物学上の死者との数少ない違いの一つ、しかしとても大きな違いだった。
これを「医療」や「介護」と呼ぶならば、誰のためのものなのか、私は疑問に思わずにいられなかった。
祖母は、こんな姿になってまで、誰のために、何のために生きているんだろう?
祖母自身は、こんな最期を望んだだろうか?
息子である私の父は、こんな母親の姿を見続けて何も思うところはないのだろうか?
私の疑問への答えは見つからないまま、祖母のそんな状態は数年間続いた。
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私の大学時代のある夏の日、祖母は生物学的に亡くなった。
危篤の一報を受け母と病院に駆けつけると、医者は臨終を告げた。そこに横たわる祖母は、管が外され、看護師による処置を受けている以外は、私が何度もその病室で見てきた祖母そのままだった。
祖母が亡くなったことでより一層、病院での祖母の晩年は、一体何の意味があったのか、いけないこととは思いつつ、そんな疑問が浮かんでは消えてを繰り返していた。
「どの人間も、生きているだけで尊い」という意見があって、その意見の方が世の中的には正しいとされているのは知っている。でも、私にはそうは思えない。
少なくとも、もし私自身の身体や脳が不可逆的に私らしさを失ったと判断されるくらいに機能しなくなり周囲の手を煩わすようになったとしたら、私を「亡くなった」と判断してもらって構わないと思っている。
今にも消えそうな命の灯火をいたずらに長らえさせるための手間と時間があるなら、今を生き、そこから先も生きる人々に使ってほしいと私だったら願うだろう。
自分の望み通りの最期を迎えることは、必ずしも簡単なことではないかもしれない。
それでもせめて、「死」を不自然なまでに遠ざけようとすることで、尊い「生」を醜いものにはしたくないと、私は思う。