銭湯での出来事がきっかけで、私は心にもやもやとした感情を抱えてしまいました。

タトゥを施した女性がルールに違反しながらも、平然と湯舟に浸かる姿を見て、まじめにルールを守る私がばかみたいに感じられてしまったのです。壁紙にもタトゥをしている人は入浴できませんと懇切丁寧に書かれているのに。その女は平気そうに湯舟に浸かっていて、正直、私は、なんだかもやもやしました。

この出来事から湧き起こるイライラや許せない気持ち、そしてルールを守ることで損をしているのではないかという不安が私を覆いました。

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まず、自分の感情に向き合う中で、なぜこのように感じてしまうのかを考えさせられました。

ルールを守っていることが正しさや誇りを感じさせる一方で、他者がそれを守らない中で自分が犠牲になることがあることに対する不満が湧き上がります。
それはまるで、テストでカンニングをすることがダメとされているのに、他者がそれをやっているのを見ているような錯覚を覚えるのです。

この矛盾した感情に直面すると、自分自身に問いかけることが求められます。
それは、私が持っている価値観やルールが絶対的であるかどうか、他者の選択や状況を理解できるかどうかという問いかけです。
また、ルールを守ることで損をしているのではなく、むしろ誠実さや信頼を築く上での利益があるのではないかとも考えてみるべきです。

しかし、私の感情には悔しさや孤独感も交錯しています。
なぜなら、ルールを守る姿勢が孤立を招くこともあるように感じられるからです。

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それは、私が高校生の時のことでした。
高校の規則で、スカートを短くしてはいけないというルールがありました。
スカートを短くしていると、先生に注意されたり、規則違反で反省文を書かされることになります。私はきちんと規則を守りスカートの長さは変えず、真面目に学校のルールを守っていました。
しかし、スカートを短くしてかわいくしたい女性からは反感をかいました。
お前みたいにルールを守るやつがいるから、守らない私達が目立ってしまうんだと言われ、私は孤立していきました。

ルールを守っている私がなぜ責められないといけないのか。
その疑問は、私の心を蝕みました。
誰にも相談できず、勇気を振り絞って担任の先生に相談したときは緊張しました。
しかし、そのときの先生の言葉は、私にとっては残念でした。
その先生は笑いながら、そんなことで悩んでいたの?ずっと?と言いました。
緊張を乗り越えて伝えた想いは、私の心をもっと蝕みました。

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さて、日本社会が抱える一部の規範に固執せざるを得ない中で、ルールを守ることで孤立するのは、なんとも複雑な心情を生むものです。

ところで、話は戻りますが、私は銭湯が好きです。
その場所には日常の喧騒を忘れさせてくれる、温かな時間が広がっています。
ルールや社会のしがらみがある一方で、そこには人々が心から交流し、くつろげる場所があることを感じます。

この複雑な感情の中、私はルールを守ることの意味や価値を再確認する一方で、他者との理解と共感を築くための柔軟性も必要だと感じています。
日本が抱える独自の文化や社会の在り方に対する疑問や批判を抱えながらも、愛する銭湯の存在を通じて、葛藤と調和を共に抱えていくことが求められるのかもしれません。