容姿に縛り続けられている。毎日学校に行くときにはカラコンをしたり、ムダ毛が生えてないか確認したり、メイクを何度も納得がいくまでやり直したり。私は身だしなみを整える時間が人より長い。

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小さい時からお世辞にも可愛いとは言えない私の容姿。小学生に上がった頃から自分が可愛くないことを周りの反応によってだんだん理解していった。たとえば、クラスの発表会で得意な教科の発表をしても、可愛い女の子と違ったり、クスクス笑われることが増えた。徐々に私は自分の立場を理解し始めて、目立ってはいけない、地味な女の子にならなければいじめられることを理解した。小学生にもなるとスクールカーストなんてものができて、容姿の良さや運動神経の良さ、コミュニケーション力で各々に役割が形成される。そのどれもが私は平均以下だったので、スクールカーストの最底辺に行くのは目に見えてわかった。

顔のことでいじめられた時にはショックだったし、大泣きして帰ってくることもあった。しかしながら、鏡に映った泣き腫れた私の顔はやはり本人から見ても不細工だった。トドメを刺されたのは実の親に顔を指摘された時だった。

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親にいじめを相談して、理解はしてくれたものの「ごめんね、私たちの悪いところばかり顔に遺伝してしまって」「かわいそうに」と言われた時には、何とも言えない気分になった。ずっとその言葉が私の人生にちらついている。

小さい頃の私は周りの人に人見知りせずに、積極的とまではいかなくとも普通に関わることができた。いつも仲のいい友達も作ることができていた。何かあれば真っ先に手を挙げ、リーダーに立候補していたのに、中学生になった頃にはいつの間にか学級委員長にも立候補しなくなったのだ。例えば、クラスの合唱曲のパートリーダーは、可愛い子しかなっちゃいけない存在。文化祭でダンス発表をしてスポットライトを浴びるのは、男女みんなに愛されるような女の子。ブスで地味な私は、目立てばからかわれる。そうして学生時代のパワーバランスは成り立っているのだ。

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高校生にもなると流石に成長して、直接的に顔のことを悪く言われることはほぼ無くなった。今度は、同級生でも恋人ができ始めたり、お洒落に興味を持って学校でメイクをしたりする女の子が増えてきた。お洒落には興味が出てきていたが、田舎に生まれた私、おしゃれをしても空回りしてダサくなってしまうこともあった。

私が普通になれないのは何故なのか考えた。その時、真っ先に浮かんだのは自分の顔のこと。重たい一重瞼、ぺちゃんこの鼻筋、ゴツゴツとした顔の輪郭、その上にのった余分な脂肪。おまけに口元は上顎前突だ。

初めて高校生で自分のスマホを手にして、TwitterやInstagramで知った都会のおしゃれで可愛い女性。自分には程遠いながらも憧れてしまう自分がいた。その日からというもの、Twitterで整形アカウントを作り、情報収集に勤しんだ。高校に通う電車の中でも、他校の女の子はどうして顔が可愛いのか、自分のどこが悪いのかを頭の中で必死に分析した。

私が高校生だった頃はコロナが大流行していたため、マスクで四六時中自分の顔を隠せることは幸いだった。マスクは精神安定剤のようなものだった。

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大学生にもなると、マスク着用の義務期間も終了した。私が容姿を変えるきっかけにもなった出来事である。マスクをしている間は目元さえぱっちりしていて、まつ毛も長く、メイクも上手ければ可愛い人として認識してもらえた。しかし、顔の露出が増えると、雑誌やSNSでは顔の印象は顔の下半分で決まると言われるようになった。特に酷い私の顔面の、歯並びをまずは改善することにした。整形は目元や鼻からすると、顔全体のバランスが崩れてしまうらしい。輪郭から整えるために、抜歯して、矯正の中でも最も早く効果が出るワイヤー矯正を選んだ。歯を抜いて、器具をつけて、麻酔で口が塞がらない私の顔は間抜けだった。その後は、二重切開をして目をぱっちりにして、笑うとモコっと出てくる自分の大嫌いな頬の脂肪(バッカルファットと言うらしい)と、頬顎下の脂肪を切除した。

少し手を加えただけの自分の顔を見て、このパーツが不細工だと気になる部分が無くなっていないことに気づく。少し可愛くなれれば、と言う程度で行った整形だけど今は自分が笑顔でいられるように綺麗になりたいからと言う理由でやっている。いまだに笑気麻酔の効き始めに鼻腔に流れこむ電気メスの匂いにも慣れない。嫌いなはずの注射も、痛いのに我慢してしまう。

矯正も落ち着いて口元の突出感がなくなったから、次は鼻の整形をしようと思う。親には整形なんかしなくても、と言われるけれど、これは私の人生だ。私がやりたいことは私がやる。鼻の整形は日本でやると高いから、韓国にでも行こうかな。