「今年のうちにやりたいこと」。
このお題が出た時、私は嬉しくなった。
小学校中学校の時と違い、「目標を立てましょう」と言われる機会が少なくなった今、このテーマを書くことで、気持ちを引き締めて日々を充実させるいい機会だと思った。
しかし、何と筆の重たいことか。私は気がついた。私は、自分で自分に期待するのをやめてしまったのだ。いつしか、抱負を立てられない人になってしまっていた。
◎ ◎
私は幼い頃から計画を立てるのが好きだった。長期休みの課題表が配られる度に燃え、誰よりも早く終わらせようと、事細かくページ数などを数えて「1日◯ページ」と手帳に書き込んで綿密な計画を立てた。
受験の時も、朝から油断も隙もない完璧な計画を立てた。朝5時台に起きて英会話のレッスンを受け、ことわざのテキストをこなし、学校からの帰宅後も、そろばん塾へ行く前に1時間程自主練を課していた。5分単位で切り詰めた計画表をベッドの天井に貼り付けて、朝起きてすぐ行動に移せるようにしていた。
しかし、それらの計画がきっちり予定通り遂行されることはほとんどなかった。なぜなら、計画を立てたそのひと時のやる気に任せて、理想を塗り固めた非現実的な計画だったからだ。
そして、変なところで完璧主義を発揮し、朝予定通り5時台に起きられないとその時点で萎え、倒れてしまった計画を立て直そうともせずに全て投げ出してしまっていた。そりゃ当然、何も成し遂げられないわけだ。
理想ばかり追いかけてしまう「ロマンチスト」、1つうまくいかないと全て投げ出してしまう「無根性完璧主義」という要素に加え、もう1つの原因が浮かび上がってきた。それは、「一晩寝れば全てケロっと忘れてしまうほどの記憶力」だ。
私は記憶力が弱い。人の名前をなかなか覚えられなかったり会話の中で固有名詞がなかなか出てこないことがざらにある。そして何より、これをやりたい!!頑張るぞ!!と意気込んだその熱い気持ちを、次の日にはまるまるすっぽり忘れてしまうのだ。
◎ ◎
そんなこんなで、長年自分で自分を裏切り続けてきた結果、最近心が麻痺してきた。
以前は、日曜日に勉強をせず遊んでしまったり何もせずに過ごしてしまった日は、夕方くらいから酷い頭痛がした。
心からも身体からも苦しみを感じていたサボる行為も、最近は何も感じなくなった。
やりたい!ということが浮かんでも、どうせ、、とはなから諦める癖がついた。心が踊らなくなった。
メモを見ると、やりたいことリストばかりが溜まっている。でも、リアルの私はそれを全て投げ出して居もしない空想の自分に託し、空っぽの1日に暇をもてあましている。何もやる気がしない。
そんな状態から脱却したい。後から考えた時に、今のこの時期夢中に頑張っていたな、エモいなと感じられるようにしたい。
未来のエモは「今」と連続している。そのエモを作り出すのは間違いなく自分だし、「今」、作るしかない。
未来の自分のために、今をエモく生きたい。
そんなわけで、あと1ヶ月ちょっとの抱負は、「抱負を立てられる人になる」に決めた。
自分に期待するには、「これができた」「これを頑張れた」という実績と自信をちまちまと積みあげるしかない。そのためには、今は3時間ほどしかない1日の活動時間をもっと増やさなければ現実的に不可能だ。
毎日、夜が深くなる前に寝て、世界が白んで空気がひんやりする時間から外に踏み出す。
そんな1日を、1日も多く積み重ねる。それが、私の「今年のうちにやりたいこと」だ。