元々はぐだぐだ考えあぐねるタイプだったけれど、近頃は最初に抱いた直感を大事にするようにしているというような話を、ちょうど1年くらい前に書いたことがふと思い出された。

1年経った今も、このスタンスは基本的に変わっていない。
自分の直感が絶対の正確性を持っているとまでは思わないけれど、それでもある程度信用はしている。直感に従った結果「あの時の選択、間違ったな」と後々になって悔やんだことは、ほぼゼロに近いのではないかと思う。

肌感覚でしかないからこれもまた根拠があるわけではないが、私の直感はまあまあ冴えているほうなのではないかという自負も密かに持っている。

直感型の行動は、おそらく今後も続けていくだろう。
ただ同時に、戒めのような想いも同時に抱いている。 

◎          ◎

その名の通り、ダイレクトに降ってきた感覚に基づいて判断するのが「直感を信じる」ということ。
あれこれ考えを巡らすことはせず、最初にピンときたものを選択の軸にする。

直感に従い続けるのは、悪いことではないとは思う。ただその分、“考える力”が衰えているのではないかという懸念も持つようになった。

YesかNoか、右か左か。そんな一問一答の解を求められている“のみ”ならばまだ良いのかもしれないけれど、例えばそこで「なぜ?」と選択の理由を問われたとき、うまく言葉にすることができない。考えがまとまっていないからだ。

「えっと、直感で選びました」と馬鹿正直に言えるシチュエーションばかりとは限らない。論理的かつ整理された考えに基づいていない解は、場合によっては不信感を持たれてしまう可能性だってあるだろう。「この人、何だか薄っぺらいな」と。

公私問わず、思慮の浅さや分析力の低さを痛感することが実際の所少なくない。
考えようとすればするほど、脳内の稼動域がどんどん縮こまっているような気がする。話が小難しくなればなるほど、相手の声が遠のいていって理解が追いつかなくなる。

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自分の直感は確かに信頼している。でも、直感はあくまで自分にとっての羅針盤のようなものであって、それ単体では外で闘うための武器にはならない。

そもそも人は「考える」ことができる生き物。考える筋力がおそらくとても衰えている私は、人として強くないと思う。このまま闘っても、あっけなく倒されてしまうだろう。

でも、そのまますごすごと退場するほど意志がないわけでもない。「負けたくない」という気持ちは人並みにあると思うし、悔しさだって湧く。

どんな場面においても、物事を水のようにさらさらと流すのではなく、「何で?」「どうして?」「私はこう思うんだけど」と考える癖をつけること。

これが、自戒をたっぷり込めた私の昨今の課題だ。

日々の忙しなさにかまけて忘れないように、この場を借りて強く記しておく。