数年前。あれは11月だったか、12月だったか。

確か、クリスマスを後に控えている頃合いだったと思う。

◎          ◎

「イルミネーションって、何がそんなに良いの?」

そんな彼の言葉に、肩を大きく落とした記憶がある。「これからの時期は、やっぱりイルミネーションが楽しみだよね。見に行きたいなあ」といったような話を私がした後の、彼の爆弾じみた発言だった。

彼は恋人でも何でもなかったが、自分の中にほんのりとした好意が疼いているのは否めなかった。そしてこれはおそらくどんどん加速していくんだろうな、と意識下で予感もしていたから、なおさら彼の発言には少なからずダメージを受けた。

そんな私の心の負傷など露知らず、彼は言葉を重ねていく。

「だってさ、ただの電飾じゃん」

「電飾って…それはそうなのかもしれないけど、でも綺麗でしょう?」

「んー、よくわかんない。あとクソ寒い外にずっといなきゃいけないのが無理」

「それは冬だからしょうがない…防寒対策万全で行くんだよ」

「そこまでして行きたいと思わない。微塵も」

これは、あくまで会話の一部である。

◎          ◎

冬の美しいイルミネーションに心を奪われる人々のことを、毒っ気たっぷりの言葉で彼はさらに揶揄していた。おそらくたくさんの人を敵に回すような発言になるため、彼の名誉のためにもここには書かないでおこうと思う。愛嬌のある出で立ちをしているのに、彼は少々お口が悪いのが玉に瑕な人だった。

この時点では、彼とどうこうなりたいという所まで考えは及んでいなかったものの、少なくともこの人と一緒にイルミネーションを見に行く未来は永遠に訪れないんだろうな、と私は静かに悟った。

誰しもが、ひとつやふたつは「理想のデート」をイメージとして抱いているのではないだろうか。

私にとってのそれは、イルミネーションデートだった。

◎          ◎

日が落ちきった冬空の下、身を寄せ合いながら闇の中をゆっくりゆっくり歩いていく。

震えるほどに寒いかもしれないけれど、気温が低ければ低いほど空気が澄みわたっていくような気がして、光の粒たちがよりくっきりと輝きを放つ。闇に包まれていても、そこはとても眩しい。

時間を忘れて見惚れてしまいそうになる、圧倒的に美しい夜の景色。音のない感動が、しんしんと心に降り注ぐ。

交わす言葉は、少なくてもいい。同じ光景と同じ時間を共有できていることに意味がある。

…と、イルミネーションデートの良さを語ったはいいものの、ここ数年はめっきり見に行けていない。なぜなら、イルミネーションを「ただの電飾」と言い放った例の彼とその後付き合うようになり、今では人生のパートナーとして共に生活を送っているからだ。関係性が変わってもなお彼の主張は変わることがなく、イルミネーションが人気を博している理由には首を傾げ続けているご様子である。

この点に関しては、もう早々に諦めている。

人には人の考えがある。相反する意見を持っている相手に対して「私に合わせてよ」とは思わない。彼と楽しい時間を共有する方法は、他にいくらでもある。

◎          ◎

一緒に生活するようになって、彼が大の寒がりであることは十分にわかった。ケチな私は昨今の電気代高騰に怯えてなるべく暖房をつけないようギリギリまで我慢するが、かたや彼は「無理、寒い」と速攻でエアコンの電源に手を伸ばす。もっぱら冬の休日は、ミノムシのように延々と布団にくるまっている。そんな姿を日常的に目撃してしまっては、「イルミネーション見に行こうよ」とはなかなか言えない。

しかし、「いま何やってるの、お仕事?」と声をかけてきた彼に、「ううん、エッセイ書いてた」と答えながら執筆途中のこの文章を見せてみたら、予想外の反応が返ってきた。

まず第一声は「ちょっと、旦那下げが激しくない?」「すでに名誉傷つけまくってるでしょこれ」というクレームだったが、「まあ、イルミネーションの何が良いのかは今もわかんないんだけど、でもまりちゃんは行きたいんでしょ?だったら行こうよ」と彼は口にした。

「うーん…私だけ楽しむのもなんか違うんだよね」

「でもさ、『行きたい』って言ってる場所には行かせてあげたいと思うよ、俺だって」

彼の言葉が嬉しくないわけではなかったが、それでもなお私の気持ちは渋っていた。

1年の中で冬の時期にしか見ることのできない、貴重なイルミネーション。寒いだとか、光の正体は無機質な電飾の数々だとか、そういうことは考えないで純度100%の気持ちで楽しみたいのが本望だった。目の前の景色を、「綺麗だね」とただただ眺めてみたかった。ふたりで。

そこから、ああでもないこうでもないと論争を繰り広げた結果、「イルミネーションデートに、“彼にとっての楽しみ”も盛り込む」という結論に着地した。

◎          ◎

正直なところ、寒かろうが寒くなかろうが基本的に家からあまり出たがらないのが彼だったが、そんなインドア人間の彼が唯一積極的に外へ赴こうとするのが「食」だった。食べることが好きな彼は、美味しいごはん屋さんに行くのをこよなく好んでいた。

「あまり夜遅くならないうちにイルミネーションを見に行って、その後どこかで美味しい夜ごはん食べようか。お店、調べてみるよ」

私がそう言うと、彼の顔がぱっとわかりやすく瞬いた。イルミネーションよりも明度が高い表情かもしれないな、なんてことを思った。

でも、私だって食べることは好きだ。美味しいごはんが食べられて、そのうえイルミネーションも見られて…想像するだけで顔が綻ぶ。

彼はどうやら美味しいものにありつければあとは何でも良しなご様子なので、細かいことは気にせずに、「まりちゃんは行きたいんでしょ?だったら行こうよ」という彼の言葉にありがたく甘えようと思う。

混雑している場所に足を運ぶのはふたりともそんなに好きではないから、おそらくクリスマスシーズンからは少し外れた時期に行くことになるだろう。でも、新たな思い出が作れることに変わりはない。

まだ見ぬ美しい風景を思い浮かべて、胸の内はすでに高鳴り始めている。