こんな話は、だれにすればいいんだろう。こんな身内の、こんな重い話を。

言ったところで、その空気なんか伝わらない。わたしの家族のことなんかわからない。

その場の空気を重くすると、そうわかりきっている言葉たちを、簡単に口には出せない。

でも、聞いてほしい。書かせてほしい。今わたしが直面している、祖母の介護の話を。

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わたしには84歳の祖母がいる。服飾の専門学校を卒業したこともあり、26歳のわたしが真似したくなるくらい、生粋のオシャレ好きだ。祖母の家には、夏休みや年末といった長期休みのタイミングには遊びに行き、祖母がコーディネートした服で百貨店に出掛けてお寿司を食べ、買い物をするというのがわが家のお決まりコースだった。

しかし、それももうできなくなった。

昨年の年明けに、祖父が亡くなった。23歳から84歳の61年間、ずっと祖母の隣にいた存在は、あまりにも突然にいなくなった。表面的には、決して仲がいいとはいえない関係性ではありながらも、本当はお互いを大切に思っていた2人だった。そこから、祖母は84歳にして初めての一人暮らしが始まった。とはいえ、足腰が弱いこともあり、近くに住む叔母が毎日のように祖母の家に通って、身辺の世話を手伝うようになった。この日から、祖母の「介護生活」がはじまった。

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悪いことは重なるもので、一人暮らしがはじって1週間ほど過ぎたある日、祖母がバスの昇降口から転落した。幸い、頭を怪我することはなかったが、腰を強く打ったことにより、もう一人で歩くことが困難になった。介護をはじめた叔母の負担は、これまでよりさらに増えることになった。家事はもちろん、祖母の入浴やベッドへの移動、病院への送り迎え、1日のほとんどの時間を祖母に使うようになった。

当然、外出は難しくなった。祖母は一日のほとんどを、自宅で過ごすことになった。靴は履かなくなり、着る服はパジャマ1着になった。腰の痛みにより、あれほど好きだった入浴もしなくなった。移動が大変だからと、ソファの上で眠るようになった。叔母は怒った。せめて顔だけでも洗ってと。祖母も怒った。わたしの痛みがわからないのかと。

叔母が帰宅すると、祖母はうつむきながら呟いた。「みんな、わたしのために言ってくれているのにね、いなくなれば迷惑なんかかけないのにね」返す言葉が見つからなかった。

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別の日、祖母から叔母の携帯電話に着信があった。「誰かがこっちを見ている」急いで叔母が駆け付けると、そこには誰もいなかった。しかし、祖母は確かに誰かがそこにいたという。

なぜ信じてくれないのかと怒鳴る。次の日も同じような電話あったが、変わらず何もない。心配になった叔母が祖母を病院に連れていくと、医者から病名を診断された。祖母は、中度の認知症だった。認知症は、初期であれば治療法がある。しかし、中等症になったいま、もう治療法はない。これまでの祖母の奇異な言動は、すべて認知症による症状だった。

病気とはいえ、祖母には怪しい人物が、きっと本当に見えている。嘘なんかじゃない。その事実を否定することは、祖母自身を否定する。そんな気がして、また、わたしは言葉が見つからなくなった。

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祖父が亡くなって半年。祖母の介護をしやすくするため、家にある不要なものを処分することになった。祖母の家に遅れて到着すると、部屋のものはほとんどなくなっていた。あれだけあった祖母の洋服は、数えられるほどにまで減っていた。祖母は、大事に着てねとほぼすべての洋服をわたしに譲った。わたしは喜べなかった。こんなの、身辺整理だ。死に向かっての準備だ。そう思ってしまったから。

祖母と社会のハブは洋服だった。それを奪ってしまえば、もう元には戻れない。それを、いくら介護のためだとはしても、わたしたちがなくしてしまうのは違う。でも、介護をしているのはわたしではない。毎日介護をしている叔母からしたら、現実、このようにした方がスムーズなのだ。わたしは、きっと傲慢な外野だ。

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悶々としながら片づけをしていると、タンスの中から箱に入ったたくさんの写真が見つかった。その箱の中には、祖母の人生がつまっていた。祖母が、子供時代の母と映る写真。叔母が生まれた時の写真。亡くなった祖父との写真。幼いわたしと、手を繋いでいる写真。どの写真にも、派手な洋服を纏った元気な祖母がいた。そんな写真たちを見て、わたしの幼い時の話、母を生んだ時の話、あの時はねと、鮮明に祖母が話し出した。

その表情は、半年前のあの元気な時のままだった。なんだ、おばあちゃんは変わってないんだ。変わってしまったのは、わたしの見方で、ちゃんとそこには昔のままのおばあちゃんがいる。いきいきと話すおばあちゃんを見て、胸がいっぱいになった。変わってしまった今の姿に、昔の表情が浮かぶ。うれしい。苦しい。戻ってきてほしい。もう戻れない。すぐ目の前の姿、これがもう、現実のすべて。急いでトイレに駆け込んだ。説明のつかない涙が、しばらく止まらなくなった。同時に気づいた。介護って、今の姿を昔に重ねるから辛いんだ。昔が虚像で、今が実像。その差異こそが、苦しくなる原因だ。すべて実像で、その中に時間が流れている。本当は、たったそれだけのことなのに。

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おばあちゃん、わたしには何ができる?もう昔みたいにおしゃれして、百貨店には行けないかもしれない。でもそんなの、ここでお寿司を食べればいい。みんなで食べればいい。できないことは、少し工夫すれば大丈夫。だから、これまで通りおしゃべりしよう。もし、いつかわたしのことは忘れても、また新しくおぼえてね。背が高くて、ショートヘアーの女だと。だから、生きて。もうそれだけでいい。

これからは、できなくなったことに悲観するより、いまできることを見つけたい。特別な思い出よりも、日常の思い出を増やしたい。だから、何もしなくても、いまを一緒に過ごしたい。記憶がなくなっても、わたしというぬくもりだけはずっと忘れないでほしいから。