10年近く前から、重度の鼻詰まりの症状に悩まされてきた。定期的に耳鼻科を受診し、鼻炎薬をもらう。それを毎日朝晩服用する。症状がひどい時は、点鼻薬も併用する。面倒だとは思いつつも、いつからかそれが私のごく当たり前の日常の一部となっていたし、それ以外にこの症状との付き合い方の選択肢は私にはないように思えた。

だがそんな私も、これを書いているつい一週間ほど前、思い切った治療のため、まさかの手術を受けたのだ。

◎          ◎

手術を決心したきっかけは、今年になって結婚したことだった。この先妊娠する可能性を考えると、常用する薬は極力なくしたい。加えてその後子育てとなると、自分のための通院時間すら惜しく感じるだろう。そうじゃなくても、この先一生薬を飲み続け、そのために時間とお金を使って通院し続けることを考えれば、ここで勇気を出して必要な治療を行ってしまう方がはるかに賢い選択になるだろう。

引越し後最初に受診した耳鼻科の先生に手術を検討している旨を相談し、手術設備のある近隣の病院への紹介状を書いてもらった。

重度の鼻炎だと長年思っていたが、紹介された病院で検査を受けたところ、鼻中隔湾曲症だということが判明した。平たく言うと、鼻中の骨や軟骨が強く湾曲していることによって気道が狭められ、結果的に鼻詰まりに繋がる病気である。だから薬を使うことは一時凌ぎにしかならず、根本的に解決するには気道の邪魔になっている骨を削るしかない。

レーザー治療をイメージしていた私は、骨を削る、との説明を聞いて固まった。幸いにもこれまで大きな怪我や病気をしたことがなく、手術の経験はせいぜい親知らずの抜歯くらいだ。そんな私が、局所麻酔の下、鼻の中だけとは言えメスを入れられ、骨をガリガリ削られ、術後数日から数週間の患部からの出血に耐えられるだろうか? その場での手術申し込みは保留し、一旦持ち帰ることにした。

夫に相談し、手術に賛同してもらえたこと、また万が一体調に何かあっても夫がいてくれる心強さが後押しとなり、私は意を決して手術の予約を入れた。

◎          ◎

手術予定日が近づくにつれ、新しい鼻に生まれ変われる楽しみと手術に対する緊張とが入り混じったそわそわ感に包まれていた。

緊張の中手術当日を迎え、受付を済ませると術前の最終確認のため診察室に入った。

「緊張してる?」と執刀医に尋ねられ、私は軽い苦笑いと共に「はい」と答えるしかなかった。意外にも、そこで少し冷静になれた。ここが私にとって清水の舞台から飛び降りんばかりの気持ちの場面であろうと、執刀医や手術スタッフにとっては割と日常の光景があるだけだ。受験や楽器の発表会と違って、緊張で震え上がろうが気持ち良く居眠りしていようが、結果は同じ。それなら腹を括って、いい意味でまな板の上の鯉のように、執刀医に身を委ねてみようじゃないか。そう思いながら手術台に横になった。

手術中は意識はあったが特段痛みを感じることもなく(時々、骨のバキバキッという音が聞こえたのは恐怖だったが)、無事に終了するまでの一時間半が意外とあっという間だったのが感想だ。「案ずるより産むが易し」とはまさにこのことか、とすら思った。

◎          ◎

問題は、事前説明を聞く限り術後からが本当の戦いかもしれないと覚悟していたが、本当にそうだったことだ。特に手術直後から2日程度は地獄を味わった。術後は麻酔の副作用なのか頭痛と吐き気と怠さがものすごかった。麻酔が切れた後の患部の痛みは幸いにもほとんど感じなかったが、手術翌日の病院での鼻内スポンジ抜去は想像を絶する痛みだった。両穴に詰めている止血用の綿球によって口呼吸を強いられることは大きなストレスだったし、2、3日は赤く染まった綿球をエンドレスに交換し続けた。

そんなこんながあったが、通院は継続しつつ今はほぼ通常通りの生活に落ち着いている。
完治までの回復期は個人差があるものの、2ヶ月程度はかかると言われている。

私の回復期はまだまだ始まったばかり、ティッシュも手放せない状態だ。それでも、一度緊張を乗り越え手術を終えた私には、もう(鼻に関しては)怖いものはない。

鼻炎薬の残数を管理したり飲み忘れを気にしたりする日々とはもう決別した。次は、ストレスなく思い切り鼻呼吸ができるようになるその日が、今は楽しみで仕方がない。