音楽で、途中で転調する曲が好きだ。一部の現代音楽を除けば「○長調」や「□短調」といった調性が、一般的に曲の世界観を決めている。その“調“が変わると曲の色彩感が変化し、一度聴いたメロディが新しい輝きを帯びる。けれどその曲の「転調」は、私や周りを深く悩ませるものだった。
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私は大学で、合唱サークルのピアノ伴奏だった。サークルは大好きだったが、そのころ私が定期演奏会で伴奏した一曲は、最後のサビ前に転調するところがとても難しい。
伴奏の私は転調後の音階2オクターブ分を右手で一気に駆け上がり、それを合図に歌声が入り最後の大サビが始まる。細い黒鍵をいくつも弾かなくてはならず、音を外さず滑らかに弾くのは難易度が高い。
だけどここで明瞭に弾けないと、歌い出しのタイミングがわかりづらくサビがブレてしまう。それに普段は大学や公民館のピアノのある部屋をお借りして合唱の練習をしていたが、そこのピアノのタッチの弾きやすさによっても転調の“成功率“が左右される。
何より私はとてもあがり症で、緊張すると早く弾きがちになってしまう。転調の合図の音階を弾くのが早すぎて、歌い手たちを混乱させてしまうこともあり、私の一番の懸案事項だった。
私は悩み、とにかくいろいろなピアノのタッチに慣れるしかない!と決め、大学内の様々なピアノやストリートピアノなど、数多くのピアノで練習した。それでも合唱の練習では、転調がうまくいくときもそうでないときも両方あった。
伴奏とは孤独な立場である。ピアノからたくさんの音を奏でコントロールしなければならないし、良くも悪くも目立つ立場なのでミスするとすぐバレる(笑)。転調の練習に躍起になりながら、あがり症でピアノもそんなに自信がない私に伴奏なんて向いてないんじゃないか、とくよくよした。
しかし私が悩んでいると、周りが励ましてくれた。特に指揮者は音楽にも人柄にも優れ、同級生ながら私が尊敬してやまない子だった。彼女は「万一伴奏がうまくいかなくても、指揮でわかるようにちゃんと合図出すから」と言ってくれて、本当に心強かった。
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そして迎えた本番の日。ホールに到着してピアノに触らせてもらうと、願った通りタッチが軽く私としては弾きやすく安心した。ただリハでは、やはり私が緊張して転調が早まりすぎて、歌声の入りがうまくいかなかった。
本番まで、指揮者の子と二人で転調の箇所だけずっと練習した。やや感覚が掴めてきた感じがあったが、まだまだ不安が残る。演奏会が始まると私は一人で楽屋に籠って、合唱の発声練習用の小さなキーボードで練習し続けた。そして出番が来ると、私は「ここまでやったんだから自分と周りを信じて、運を天に任せよう」と腹を括った。
曲名のアナウンスで伴奏の私の名前が呼ばれた時の心の震えも、ステージの照明の強さも、きっと忘れないだろう。曲が始まりなんとかミスせずに伴奏し続け、そして苦手な転調が来た。
指揮者の子が話し合っておいた指揮の合図を私に送った。指揮者や歌い手たちの祈るような気持ちと観客たちの注目を感じ、緊張で心臓が止まりそうだったが、私は必死でその音階を2オクターブ駆け上がった。そして溢れ出すように華やかにラストのサビが始まった。
練習のときも綺麗な曲だなと思っていたが、本番の大きなホールで120%歌い手たちが実力を出して歌い上げるサビは、伴奏の私が圧倒されそうなほどにまばゆく、壮麗だった。なんとか伴奏の私も遅れずに、そして歌声に少しでも華を添えられるように弾ききり、終わったときに脱力感と安心感がどっときた。
ステージから皆でハケたあと、周りから「いい演奏だったね〜!」、「お疲れ様〜!」と一気に声をかけられ感激した。あまり話したことのない後輩からも、一番入りやすい転調だったと話してもらえたり、初対面のOBOGにも温かい言葉をかけられたりした。だんだんと「ああ、やりきった!」と充足感が湧いてきて、支えてくれた周りへの想いで胸が熱くなった。
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これから私は大学を卒業して社会人になるが、予期せぬ出来事やライフステージの変化といった人生の「転調」は、今後もたくさん経験するだろう。けれど緊張や困難を乗り越えたら、きっと新しい景色が待っている。
そして精いっぱい自分にできることを重ね、自分や周りを信じればなんとか乗り越えられるはずだ。この先めげそうなことがあっても、あのとき私が周りに支えながら懸命に弾いた、新しい世界へ橋渡しをする一陣の風のような音階にずっと励まされるだろう。