「緊張」は、人生で何度経験しても慣れないものだ。
それでも、緊張することで良いプレッシャーを自分に与えることは、何かに挑戦する時にはパワーの源になるということを、私は信じ続けている。
だから、私は「緊張」すること自体が、嫌いじゃない。
◎ ◎
その中でも、今までで一番緊張した瞬間で忘れられないのが、中学2年生の時の駅伝大会だ。
私の通っていた中学校は、毎年夏休みが明けると約3ヶ月間の期間限定の駅伝部が発足された。
学年・所属部活に関わらず、選考会で選抜された男女計40名で結成される、期間限定の部活だった。
当時、剣道部に所属していた走ることが大好きな私は、格技室から見る陸上部の姿にいつも憧れていた。
剣道部には女子の同級生がいなかったことも重なり、先輩後輩の上下関係が厳しい中学校で、同級生同士で戯れている彼らの姿がとても羨ましかったのだ。
◎ ◎
1年生の頃は、身の回りの環境や部活動に慣れるのに精一杯で、駅伝部の選考会に行くことを考える心の余裕もなく、格技室の窓から様子を眺めていた。
駅伝部の練習する姿が羨ましくて、「来年は私も挑戦したい!」と、部活が終わり家に帰って着替えると、ひとりで河川敷を走っていた。
その秋の校内マラソンでは、陸上部のメンバーと競り合い、見事学年1位を取ることが出来た。
その私の姿を観た陸上部の顧問が一言、「来年の駅伝部に来ない?放課後、走っていること俺は知ってるよ。」と、声をかけてくれた。
私は、その一言が嬉しくて嬉しくて、毎日練習の厳しい団体戦県ベスト8の剣道部から、心が離れていくのが自分でもわかった。
剣道部には私を含めて大会にエントリーできる、ぴったりの人数しかいなかったから、「剣道部、辞めたいです。」なんて、口が裂けても先輩には言い出せなかった。
だから、「せめて先輩が引退するまでは、私は剣道部に居よう」と、自主練のランニングで気持ちを切り替えていた。
◎ ◎
そうして2年生の夏、無事に先輩の引退試合を終え、私は1年越しに待ちに待った駅伝部の選考会に出た。
選考会では、陸上部の先輩の背中に続き、4番手でゴールをした。
そうして始まった、私の「走る」人生。
残暑の中での陸上の練習は、辛いよりも、同学年の仲間と練習できる環境自体が、楽しくて楽しくてたまらなかった。
だから、どんなにキツい練習も、仲間と励まし合って乗り越えることが出来た。
駅伝大会が近づくにつれて市大会・県大会ともに、本番の会場でタイムトライアルが行われた。
どちらも先輩に負けじと3、4番手でゴールした私は、2年生で唯一の選手枠に入ることが出来た。
◎ ◎
3年最後の出場を逃した先輩の想いを汲み取り臨んだ県大会。
私なんかが走って良いのか、こけて遅いタイムになってしまったら走れなかった先輩に申し訳ない…と、大会前日まで私は不安と緊張に駆られていた。
そんな時、「こんだけ練習してきたNattoなら、出来ると信じてる!」と、マラソン大会から目をつけてくれていた陸部の顧問の一言が、私の不安も緊張も一気に自信へと変えてくれた。
おかげで県大会当日も、気持ちを切らさず良い緊張感を持ってスタートラインを迎えることが出来た。
そして、この緊張感が今でも忘れられない。
私の走る、「生きる」原動力になっていることは間違いない。