私には、高校の時からずっと仲の良い友人がいる。もう今年で付き合いは10年になる。周りも私たちのことをそう思っているし、家族のようなものだとお互いが認識している。そんな友達と私は初めて距離を置くことにした。

◎          ◎

きっかけは簡単なことだとも言えるし、すごく混ざり合って難しいことだとも言える。

分かりやすい事実だけ見てみるなら、友達のとった私への行動が私にとってどうしても許せないことだった。10年来の親友というアドバンテージでも免罪符には到底足りなかった。

私はあまり人に対して怒りや憎しみをぶつけるのが得意ではない性格をしている。だから、日々生きていくなかでイラっとしたり、それ違うんじゃない?と思っても、波風が立たないように黙っていることが多い。別にスルー出来るレベルのふつふつだし、私も大人だ。

そんな私でも年に一度くらいは、他人から受けた理不尽にブチぎれる日もある。だとしても相手に言うのではなく、誰かに愚痴る程度だ。そんなことで相手に時間を使ってると相手に思われたくないという変に高いプライドのせいだと思われる。

それにどちらかと言うと、ああ私も悪かったかもしれないとか自己犠牲の方向に思考が無意識に向くようになっている。他責しても、そんなに気持ちが落ち着かないのだ。理由は他責してる限り、その相手の出方次第でまた自分のメンタルを乱される可能性があるからだ。

だから、一ミリでも自分に責任があるかもしれないなら、他責じゃなくて、自責する完全自己犠牲人間になったのだ。この考えはすごく悲しくて可哀そうだと惨めに思うこともできるし、ある意味感情のコントロール面では賢いと捉えることもできるろう。

◎          ◎

でもこの考え方には大きな欠点がある。それは100パーセント相手が悪かった時の、行動指針が示されてない点だ。まさに今回、私が友人に対する行き場のない怒りをどうしたらいいのか悩み苦しんだことに繋がる。

私が悩んだ点はいくつかあって、「この怒りを全部本人にぶつけたいけど、こんな付き合いの長い人間にそんなことしたことないから怖い」「周りに相談したいけど、ほぼ共通の友人で気を遣って息ができない」「相談したとて決めるのは私だし、結局伝えない限りこのもやもやは一生ある気がする」など夜な夜な悩んだ結果、送るか送らないかは置いといて、とりあえずスマホのメモ機能に友人に言いたいこと書き連ねることにした。

書いてみると、「あ、なんか書いただけでもすっきりしたかもだから、送信しなくていいか」と思い眠りについた。でも夢に友人は現れるし、次の日朝起きた瞬間からもやもやするしで、これはもう送るしかないと思った。

◎          ◎

夜な夜な荒れ狂った感情のまま書いた文章に、「別に永遠の別れをするわけでも、縁を切るわけでもなく、このメッセージを書いている」というのを付け足しているとき、ああ、やっぱり私は怖いんだなと思ったし、こんなことになってしまった二人の関係にすごく悲しんだ。

やっぱりやめようか、そう思った。でも、「私が傷ついたことは変わりないし、怒っていることも事実、不当な扱いに耐える必要はないんだ」という私の心の声が一番大事だと思った。そう思ってラインを開いて文章をペーストした。今は相手に何を言われてもむかつくと思ったので返信不要と付け加えた。

このエッセイを書き終えたら送信しようと思う。そしてラインをブロックしようと思う。エッセイを書くことでだいぶ気持ちができたと思う。

◎          ◎

生きてきてこんなに許せないことと出会ったのも、自分から誰かとの距離を置こうとしたことも、いろんな初めてが重なってどっと疲れた。でも一種の安堵の気持ちになった。今、怒りが消え始めてるのも距離を置くことを自分から切り出せたそうとできたからだと思うし、今回思ってることを伝えたことで、10、20年後の友人との関係が良好なものになっているだろう自信のようなものも感じた。

今年のうちにやりたいこと、今からしてきます。