私は常に“緊張”と隣り合わせで生きている。心はいつもザワザワしていて、どこか落ち着きがない。心地の良い居場所を探そうとしても、なかなか見つからない。

でも、人に隙を見せると弱い部分を知られてしまう。私の心を見抜かれてしまう。そんな気がするから気を緩めることができない。

だから私はいつも緊張している。

でも私は緊張していることを隠すのはうまいほうだと思う。どんな人に対しても淡々と話すことができる。何か間違えても笑って済ませたり、なんだかんだでその場を乗り切ることができる。おそらくそれらしい人間を演じることで、本当は緊張している自分をうまいこと隠せているのだと思う。

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私はきっと玉ねぎのようなものだ。玉ねぎの皮は剥くと新たな皮が出てくる。剥いても剥いてもどんどん皮が現れる。でも皮を剥くと玉ねぎは小さくなり、やがて芯だけが残る。その芯は剥き始める前の玉ねぎに比べるとちっぽけだ。でも剥いた中身はちっぽけなのに、皮を重ねた元の姿を見ると大きく見える。

私もそうだ。“私自身”は常にちっぽけな人間で、緊張に弱い。けれど、何枚もの皮を被って周りに気づかれないように息を潜めている。本当の自分の姿を誰にも知られたくない。

おそらく私は見栄っ張りな人間なのだろう。

緊張しているのに緊張していないように装う。全てのことに関してもっともらしく振る舞う。分からないことがあっても分かっているように取り繕う。常に緊張している私は“弱み”とか“辛さ”、“苦しさ”を何枚もの皮で覆い、見えないようにしながら生きている。でもそれは取り繕っているように見えるだけで、本当の私は今にも緊張で押しつぶされそうなのだ。

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「なぜそんなに緊張しているの?」とある人から言われたことがある。

その言葉を聞いたときに私は言葉に出来ないほどの恐怖を覚えた。

この人には私が隠してきた心の内側が見えているのだ。私が何枚もの皮を被ってまで覆い隠したかった部分をその人は見抜いていた。

「なんとかしなければ」と思った私は話を逸らそうと別の話題をふった。でもそのこともその人にはお見通しだった。

『なぜそうするのか?』と聞かれたとき、私は自分でなぜそうするのかが分からなかった。

別に銃を向けられているわけでもない。誰かにずっと責められているわけでもない。監視されているわけでも縛られているわけでもない。でも私は常に緊張している。

私からすれば言葉はナイフのようなものだ。ふとした時に私の心へ突き刺さる。

そう感じてしまうのは私の感受性が強いからなのか、はたまた被害妄想があるからなのか。私自身もよくわからないが、私が緊張する先には何かがあるのだ。見知らぬ怪物のような、黒っぽい何かがそこにはある。

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おそらくそれは人間だろう。私を常に緊張状態にさせた過去の人間たちがそこにいるのだ。過去の経験の積み重ねが今も私を緊張状態にさせる。

私をこんな状態にさせるあなたは一体何者なのだろう。何がきっかけでこのようになってしまったのだろう。複雑すぎてよく思い出せないのだ。

しかし、今の私は緊張の先にいるその怪物に立ち向かう勇気はない。

でもいつか立ち向かうことができたなら、私は緊張の呪縛から自由になることができるのだろうか。