ある日、自炊ができなくなった。

料理は得意ではないが、以前はなるべく週に3、4回は自炊をするようにしていた。少しは節約になるかもしれないし、料理をするという行為自体がストレス発散にもなる。何かのきっかけで「食べたい」と思った料理の材料を買い揃え、レシピを見ながら試行錯誤して調理することは楽しかった。

そんな自炊は、かつての私の「習慣」だった。

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その習慣を失ったのは約2年前。前職で受けたパワハラでパニック状態に陥ってしまってから、大きなものを失ってしまった。それは「趣味」と「習慣」。読書が昔からの趣味である私は、活字を読めなくなってしまった。仕事では無理やりスイッチを切り替えて、書類やパソコン上の文字を追っていた。しかし、家に帰ると小説だけでなく、大好きな旅行本すら読めなくなってしまった。

習慣についても、TOEICなどの資格取得に向けて日々少しずつ勉強していたが、一切勉強ができなくなった。試験などに向けた勉強は、幼い頃から習慣化されていて、ほぼ毎日何かしらを勉強するためにノートを開いていた。「いろんな資格がほしい!」と興味の幅が広かった私の家には様々なテキストがあるが、今はテキストのほとんどを1年以上開いていない。

そして、習慣の一つである自炊もできなくなった。あんなに楽しみにしていた食材の買い出しが、まず億劫になった。手軽に食べれる惣菜や冷凍食品ばかり買うようになった。そばなどの乾麺やレトルト食品も買っていたが、鍋に水を入れてIHに置き、スイッチをオンにすることもできなくなった。食べた後の食器がシンクの中に放置される時間も長くなった。

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そもそも、食欲が一気に失せ、一週間ほど固形物を食べられなかった時期もあった。揃えていた調味料は、賞味期限内に使い切れず処分した。今家にある調味料は、塩と砂糖、サラダ用のドレッシングのみだ。冷蔵庫にも飲料以外ほとんど入っていない。

もちろん、「この状態は良くない」「何とかしないと」と思った。しかし私の心は、食に関するあらゆる習慣を拒んでしまった。

あれからしばらく時間が過ぎ、失っていた「趣味」を取り戻すことができた。しかし、「習慣」だった勉強と自炊はまだできない状態。自炊して健康的な食事をしたほうがいいのは分かっている。しかし、まだ心と身体が追いつかない。IHの電源を入れない週も珍しくはない。麺を茹でる時くらいしか、IHを使っていない。そもそも調味料がないから料理ができない。今までできたことができないという事実が虚しくなる。

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そんな気持ちを慰めるかのように、無理やり今の現状をポジティブに捉えてみる。

朝食。専用容器に入れた米を電子レンジで炊き(炊飯器も使わなくなり処分した)、一食分の白米を用意する。ご飯のお供は納豆やめかぶ、ふりかけなど。なるべくカット野菜やヨーグルトも食べる。朝はシンプルが一番いい。

昼食。気分によって食べるものを変える。毎月数回、職場近くで開催されるマルシェに行くのが楽しみで、お店の人の手作りパンやこだわりコーヒーをいただく。手作りのあたたかさを感じる。

夕食。仕事帰りにスーパーへ向かう。夜は一番食欲がないため、炭水化物を抜く日もある。私は真っ直ぐ惣菜コーナーへ行く。選ぶのは食品ロスのために値下げされた惣菜たち。食後のデザートも値引シールが貼られているものをなるべく選ぶようにしている。ちょっとした私のエコ活動。

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前向きな言葉に変換すると少しは印象が変わるかもしれない。しかし、こんな食生活を送っていると栄養が偏りがちになる。最近はふらつきが多い。自分の健康や身体をもっと大切にするべきだ。でも、習慣を取り戻すことは趣味よりも難しい。やはり虚しくなってしまう。

リンゴを食べたくて皮を剥いていた。リンゴを回しながら包丁を入れていき、皮が1本の赤い帯のように繋がった状態で剥き終えた。リンゴの皮剥きは私の特技だ。小学校入学前に教わり、学校の家庭科の授業でリンゴや丸い野菜、果物を包丁で皮を剥くと、毎回のように褒められていた。料理ができなくなった私だが、私の手はリンゴの皮剥きを覚えている。この特技だけは失いたくない。そう思った。