私には子どものころ、将来の夢があった。医者になるという夢。どんな医者になるかは決めていなかったが、とにかく医者として働きたかった。この夢ができたとき、勉強を頑張らなければいけないと知る。小学校に入った時、周りがめんどくさいという勉強が、夢のために必要なこと、という認識で私のなかに存在していた。
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医者になりたいと思ったのは、幼稚園の頃。すでにこれが正確かわからないほどにおぼろげな年齢だが、遡っていくとこのくらいには将来の夢として確かに医者になりたいという夢が存在した。テレビ番組で紹介されていた医師のドクターコートに憧れて、私もあの白衣を着て颯爽と歩きたいと思ったのがすべての始まりだ。一目惚れのように決まった将来の夢。両親をはじめとして、家族は私を持ち上げる。そして祖母が言った。「この地域でいちばん賢い高校に行って、旧帝大クラスの医学部へ進学するのがいい」と。今思えば冗談交じりの王道コースだったのかもしれないけれど、幼い私には十分すぎるくらい広い世界に思えた。それがすべて、私の進む道の光として照らされたように感じた。
しばらくして私は小学校に入学。学校の勉強は確かにめんどくさいものだったけれど、勉強ができる喜びもあった。塾には通わず、通信教材を使って学習。通信教材こそめんどくさいと親に反抗したこともあったが、教材のおかげで勉強は嫌いではなくなった。学校の宿題も、何回も繰り返して勉強した。何周取り組んだかを同級生と競い合ったりもした。学ぶというのとは別に、ゲーム感覚で楽しんで宿題をしていたのだ。
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勉強が定着すると、賢くなった自分に嬉しくなる。問題をパッと見ただけで解ける、問題をスピーディーに解けるあの快感は、勉強のモチベーションを上げてくれた。特に好きだったのは、漢字テスト。書ける、使える、読める、リズムよく問題を解いていける感覚が好きだった。休み時間も、先生にプリントをもらって練習として解いた。通信教材についている漢字のページも、真っ先に取り組んで解いていたくらいだ。他の日は、読書をして時間を過ごした。決して年齢相応の休み時間の過ごし方とは言えないだろう。それでも私には、何かをインプットしている時間が有意義で自分らしくいられる時間だった。
ここまで学ぶことに嬉しさを覚えるのは、すべて夢があったからである。常に賢いと思われたい、その思いで勉強を頑張った。自分の嬉しさも、賢いね、と評価されること。小学生なのだから遊びなよ、と思う人もいたかもしれない。それでも夢のために勉強をするならそれがいいと思った。
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結局、医者にはなれず、別の仕事に就いた。別の仕事に就いても、勉強をすることはある。ただそれも悪くないと思えている。仕事に必要なことだと思うと、興味や学ばなくては、という使命感に駆られて勉強を始めるから。いずれ仕事の役に立つとき、それはやってよかったと思う。これまでに学んだことが使えるとき、実践しては反省し、復習しなければ、と思う。大人になった今でも勉強が苦しいものだと思わないのは、子どものころに将来の夢に出会えたからである。そして夢を歩むためのレールを引き、応援してくれた人たちのおかげでもある。
今も生まれ変わったら医者になりたいと思うほど、夢を抱いたことに後悔はしていない。むしろ、今の自分の軸を作ってくれた夢に感謝している。別の夢を抱いていたら、こんなふうに文章を書いていることもないかもしれない。勉強に抵抗が少ないのは、医者に一目惚れをした自分のファインプレーだ。小学生のころだけではない。中学生の時も、受験生の時に勉強のモチベーションを保っていたのは夢があったから。続ける、頑張る、身につけるという素晴らしさを知った。
今の自分を肯定できる要素は少ない。数少ないエッセンスだ。だがこのエッセンスがとてつもない割合を占めているのは事実。私の大きな軸を決めた、幼いころの将来の夢。こんなにも長く思い続ける夢になるとは想像もしなかったが、出会えて良かったと思う。夢に向かって、小さくても、波があっても、努力することの大切さを知る。今の自分にも言えること。時々このエピソードを振り返って、自分への叱咤激励としよう。