「直感を信じる」ということを、私は高校生の頃から意識していたように思う。

幼いころは、いつも誰かに守られて生きていた。それは親だったり、学校の先生だったり、右に行けば正解だと、左に行けば怖い魔女がいると、暗い森の中を突き進んでいかないといけない私たちにいつも道筋を照らしてくれる存在がいた。

だけど、高校生になったころにふと、自分の人生の主人公は自分だというありがちな言葉がぐっと身に染みるようになった。

それは明るい言葉に聞こえるけれど、裏を返せば自分の人生の責任は自分で取るということだ。もうこの暗い森を照らしてくれる優しい番人はいない。親だって、先生だって、自分の人生で手一杯なのだから。

◎          ◎

高校生になって、毎日を無為に過ごして刺激がなかったころ、私は初めて直感を信じてみることにした。

当初は憧れで入部した書道部が案外「こんなもん」で、生きる希望も失っていたころ、なんとなく私は運動部に興味があるけれど、自分には入り込めない、運動神経が悪い人には向いていない、キラキラした世界だと敬遠していた。

だけど、直感を信じてみないと世界は広がらないと思い切って飛び込んだテニス部のマネージャー。これは、今になって思うとすべて現在に通ずる最初の大きな一歩だったと思う。

直感を信じて行動してから、諦めかけていた高校生活に輝きが生まれ、もちろんつらいこともあったけれど、それも含めて笑い話にできる度胸が付き、続けているといつしか未来について語り合える素晴らしい後輩にも出会えた。

その後、大学なんて行くのか行かないのかも考えられなかった私に、「本当に好きなものは何なのか」を考えるきっかけをくれたのだ。

私は英語が好きだから、その後英語学科に入学した。アルバイトは本が好きだから本屋か駅前のレストランか……と考えていた矢先に、一枚のはがきが届いた。
「講師を募集しています」
そう書かれたはがきは、中学の頃通っていた塾からのものだった。
塾バイトなんて、私にできるわけないか……と考えたけれど、英語だけだったら教えられると思い、その日のうちに電話をかけ面接を受け、採用をしてもらった。もう一度直感を信じたのだ。

◎          ◎

その後、塾講師の経験から子供と接することの楽しさを感じ、もちろん難しいと思うこともやめたいと思うことも度々あったが、四年間はしっかり勤めようと努力した。高校生のために時給外で予習をしたり、生徒のマシンガントークを制止しながら授業を必死に行ったり、毎日があっという間に過ぎていくような魔法のような四年間を過ごさせてもらった。

「私、本当は教えることが好き。子供と接することが好き」 
自分の心の奥にある「好き」という感情には、嘘をつく必要はないのだ。それを思いきり表現する権利がみんなにあるのだ。

子供と接することが好きということに気づけたおかげで、私は現在保育士として働き始めてもうすぐで二年になる。長いようで、あっという間の二年。自分の中の当たり前が日々覆される日々に、圧倒され、感動させられ、勉強になることばっかりだ。

時に大変だけど、楽しいことももちろんある。子供が教えてくれることはおなかを抱えて笑うほど面白くて、納得させられ、元気をもらえることばかりだ。 
私は今、恵まれた環境にいるのかもしれない。これは誰かにとって「憧れ」の職業なのかもしれない。つらくて涙を流しながら帰る日々も、そう思うことで立ち直れることもある。 

すべて直感を信じて行動してきたことがつながって現在につながっていると思うからこそ、私はどんなことにも向き合って、一歩一歩私なりに頑張っていきたいと思う。