ほんの数年前まで、「ためらいなくショッピングできるのがカッコいい!」と思っていた。
たとえば月収50万円とかで、洋服でもインテリアでもコスメでも、カードで躊躇なくぽんぽん買えて、それでもちっとも財布が痛まない、みたいな状態に憧れがあったのだ。

だから、新卒で入った会社で手取りが20万円に満たないようなときも、「私は働いてるんだから!」と自分に言い聞かせて、カードでぽんぽん決済をしていた。
買っていたもの1つ1つは、数百円から数千円の小物だったり、高くても1万円ちょっとのチケット代だったりなのだけど、それでも束の間のリッチな気分を噛みしめていた。
ネットショッピングで毎週のようにアクセサリーを購入して、郵便受けに届く商品を楽しみに仕事を頑張っていた時期もあった。
とにかく買いものできるお金が欲しかったし、好きなものをたくさん集めるのが豊かなことだと信じていた。

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そして、現在はというと。
あれほど恋焦がれていたショッピング三昧の生活に、まったく魅力を感じなくなった。
ブランドもの、高級店、デパコスへの憧れも、数年前に比べると見えないほど小さくしぼんでしまっている。

かわりに抱くようになったのが、「節約ってカッコいい!」という思い。
次々と新しいデザインの洋服を購入する生活より、プチプラや中古の洋服を少なく持って上手に着回す生活に、センスを感じる。

「一生もののブランドバッグを買いました」というSNSの投稿より、「いつも愛用しているバッグはセールのときに300円で購入したもの」という投稿のほうが、羨ましさが募る。
有名ホテルやレストランでのリッチな外食より、スーパーのお買い得品やまとめ買いをうまく使ったリーズナブルな食卓に心惹かれる。
以前とはまったく逆の生活スタイルを理想だと感じるようになったのだ。

昔も今も、そんなにお金を持っていないという点は変わらない。
なのにこれほど感覚が変化したのは、時代の流れのせいもあるのだろうか。
低収入で暮らす、狭い部屋での1人暮らし、ミニマリズム。
「ものがたくさんあって、お金をたくさん使う生活スタイル」よりも、「身の丈にあった小さな暮らし」を志向する人が増加し、その感性が知らず知らずのうちに自分の中に根づいていったのかもしれない。

「節約がカッコいい」という感覚に基づいた生活の中では、「自分の感覚を信じること」が何より重要になってくる。
とにかく安いものを選ぶ、必要なものだけを吟味して買う、いらないと感じたものは即手放す……というスタイルは、続けていくとどんどん心が窮屈になっていくように思う。

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たとえば、夏に訪れたマーケットで、私は木彫りのキーウィ―にひとめぼれした。
アフリカ系の男性が1人で切り盛りしていた売り場に、手のひらにずっしりのるくらいのサイズのキーウィーの置物があったのだ。
「絶対使い道なんてない」「買ったとして、家の中のどこに置くの?」と自分にいくら言い聞かせても、「この子を連れて帰りたい」という強い欲求には抗えなかった。
理屈ではない、根拠なんてない、単なる直観。
それでも、ころんとしたフォルムが可愛いキーウィーを買ったことを、今でも後悔はしていない。

一方で、「なんとなく買わない」という選択をすることもある。
もうすぐなくなりそうだから買っておこうと決めていたシャンプーや、コーディネートの組み合わせを考えるとぜひほしいと思っていたアウター。
実際にお店に足を向けたところで、「なんとなく今日は買いたくない」と思って見過ごしたり、試着だけして帰ってきたり。
そういうときは、あとから「そういえばシャンプーは試供品が残っていたからそっちを使おう」とか、「試着したときは気づかなかったけど、あのアウターの丈は手持ちの服と合わない気がする」とか気づくことが多い。

理由はないけど、なんとなく「好き」「ほしい」「いらない」「選びたくない」。
その感覚を信じて生活していけば、お金を使う暮らしでも、節約する暮らしでも、自分の軸をぶらさず、豊かな心で過ごしていけるはずだ。