私のクリスマスは、たいして特別なものではない。学生時代のクリスマスは期末試験や課題に重なってばかり。たとえ休日だとしても、バイトの人手が足りない時期ということで積極的にシフトに入っていた。社会人になってからは日々疲弊していて、クリスマスどころではない。

留学中にヨーロッパで過ごしたクリスマスが唯一の思い出だ。キリスト教が昔から根付いており、伝統を重んじる地域でしか味わえないクリスマスを過ごした。家族でクリスマスを楽しむ人も、その人たちのおもてなしのために働いている人も、とても楽しそうだった。私もその空気の中にいて、心から「あたたかい」と思える時間を味わった。

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日本のクリスマスも毎年心のどこかで楽しみにしているが、「クリスマスに何をするか」「誰と過ごすか」という話題に毎回ピリピリしてしまう。過剰に生産されたクリスマス用の食品や装飾が、クリスマスが終わる間際に大量処分されてしまう光景も直視したくない。クリスマスの余韻を味わう間もなく、大晦日や正月の準備が大急ぎで始まる。初めから終わりまで、何だか落ち着かない。
いつか、またヨーロッパでクリスマスを過ごしてみたい。これまで何度もそう思った。

今年のクリスマスも何も起こらないだろうと思っていたある日、駅ビル内のチラシ置き場で、とあるフライヤーに目が留まった。プラネタリウムのフライヤーだった。私はプラネタリウムに対して敷居の高さを感じていたため、普段ならスルーしていただろう。しかし、そのチラシにはこう書かれていた。

「ウクライナ特別投影」

昨今の情勢により日本に避難してきたウクライナ人を招待し、日本とウクライナそれぞれの天体を解説するとのことだった。ウクライナ語と日本語の同時通訳で行われるらしい。
ウクライナは私にとって思い入れのある国だ。かつて訪問したことがあり、その土地特有の文化や人柄に惹かれて以来、その関心は高まる一方だった。しかし、現在のウクライナの悲惨な状況を、ニュース越しでも直視できずにいた。心苦しいだけでなく、知ること・情報を得ること以外の向き合い方が分からなかったからだ。
今までニュースから逃げてきたが、ちゃんと向き合いたいと決心したばかりだった私は、そのプラネタリウム投影を観に行くことにした。

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当日。クリスマスの装飾で彩られたプラネタリウムのロビーには、日本人とウクライナ人が一対一くらいの割合で待機していた。ウクライナ人は家族連れが多かったこともあり、ウクライナ語の会話が飛び交っていた。
懐かしさを覚えた。ウクライナ訪問以降、初めてウクライナ人に出会った。ウクライナ語の発音も心地よかった。昔からの知り合いかのように会話をするウクライナ人を見ていると、彼らが避難民であることを忘れてしまっていた。

投影が始まった。冬の星空が現れたと同時に讃美歌のような美しい歌が流れた。ウクライナの国民的なクリスマスソングだそうだ。教会の十字架の前に並んだ人々が合唱する光景が目に浮かんだ。懐かしい光景だった。
解説にはウクライナの文化やクリスマスの過ごし方の紹介が含まれていた。クリスマス前に断食する風習やかつてのクリスマスは1月だった歴史など、初めて知る内容も多く、興味深かった。私のクリスマスというイベントの見方が広がった。伝統を大切にする国民性だと、再認識した。
プラネタリウムは想像以上に面白かった。天体の神秘と飽きさせない演出のおかげで、うっとりと星空を眺めていた。

投影時間はあっという間に過ぎた。解説員が終わりの挨拶を述べた後、会場に『戦場のメリークリスマス』が流れた。ピアノの旋律が私の耳に入った途端、思わず涙が流れた。

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今世界中で起きていること。祖国から必死で逃れてきた人と一緒に星を眺めていること。ロビーで遊んでいたウクライナ人の子供たちが無邪気で可愛かったこと。かつて映画『戦場のメリークリスマス』を観て胸に刺さった、兵士たちの抗えない本能と譲れない信念。そして、美しくも悲しいピアノのメロディー。

何かを考えずにはいられなかった。何が正しいか、解決策かを導いた訳ではない。報道から得られる知識や情報だけでなく、その向こう側にある物語を想像したいと思った。

投影後、ロビーではウクライナの伝統的な人形・モタンカが販売されていた。売上はウクライナの避難民に寄付されるとのことだ。私はモタンカを一つ購入した。
あたたかな薄黄色の女の子の人形。今年のクリスマスはこの子と過ごそう。