今日も私のパートナーは、えぐれた皮膚にガーゼを貼って帰ってきた。「めっちゃしみたわ~」と言い、へらへらと笑いながらお風呂場から出てくる。そして、真剣な顔つきになり、慣れた手つきで自分の傷を手当てする。皮膚がえぐれて真っ赤でジュクジュクとした傷に、私もパートナーも、もう驚かなくなった。これがいつものことになっている。
パートナーの体にはいくつもの消えない傷が残っている。そのほとんどが、人の爪でえぐられた痕だ。それに当てはまらない残りの傷は、人に噛まれてえぐれた痕。どちらの傷も、治った後も皮膚が盛り上がり、色も変色し、目立つ傷痕が残るほど深くえぐられている。どうして、そんな傷をしょっちゅう負ってくるのか。それは、パートナーの職業が介護士だからだ。
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パートナーは介護福祉士として社会福祉法人で働いている。そこで、利用者さんを移動のため抱きかかえたり、入浴を介助していたり、利用者さんとの距離が近くなる時に傷をつけられている。介護士と利用者の関係は、まさに「利用者様は神様です」というような関係だと私は思っている。皮膚がえぐれた程度の怪我では、利用者からの謝罪はないし、治療費が出る訳でもない。
パートナーは、「今日、その利用者さん、機嫌悪かったから」、「今日担当した人、視覚に障害があったから入浴怖かったんだと思う」と話す。そして最後に「だから、仕方ないよ」と言う。私は最初、「仕方ない」という言葉を受け入れられなかった。「仕方なくないし、それが許されるのっておかしいよ」と言っていた。どんな理由であれ、他人に痕の残るほどの傷を残していい理由にはならないと憤っていた。
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私は、パートナーとの生活の中で1つ気づいたことがある。介護に携わる人たちにとって、傷を負うことは日常で、日常になっているから異常だと思わないのだと。出血を伴う傷を負っても、介護士たちはよくあることと認識しているし、施設内にいる看護師もよくあることと手当てする。コミュニティの外にいる私から見ると明らかにおかしなことも、「通常」で「普通」で「当たり前」になっているのだと。そして、傷を負って帰ってくるパートナーとの生活が日常になった今、最初は異常だと思っていたはずなのに、私自身も「仕方ない」と思い始めている。このまま生活していると、きっと私も、この異常さを感じられなくなると危機を抱いている。
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だからこそ、いま私は、介護職の異常さを記事にする。介護職な訳でも、家族の介護をしている訳でもない。介護にかかわっていない私が声を上げるのはおかしなことかもしれない。それでも、誰かがこの異常さに声を上げなければ気づかれない。「介護職は大変」となんとなくイメージを持っている人は多いと思う。私もパートナーと一緒に住み始めるまでは、そのくらいの認識しか持ってなかった。まさか、傷を負わされているなんて思いもしなかった。
介護の仕事は、今の日本にとって、なくてはならない仕事だと思う。だから、「こんなことがあるから、介護の仕事はやめとこう」とはなってほしくない。必要な仕事だからこそ、「働きたいと思ってもらうためにはどんなことが必要なのだろう?」、「長く働ける環境、安心して働ける環境を作るためにはどうすれば良いのだろう?」と、多くの人が考えるきっかけにしてもらいたいと思う。そして、介護する側も介護される側も安心して過ごせる仕組みを築いていってほしいと願っている。