ティーンエイジャーの頃、毎年12月25日は地下室にこもっていた。というのも、中高一貫校の吹奏楽部に所属していたのだが、その定期演奏会がなぜか毎年12月26日で、前日であるクリスマスの日は地下の合奏室で1日中リハーサルが行われる日と決まっていたのだった。

必ず予定があるという意味ではそれはそれでよかったのかもしれないが、大してクリスマス感を味わうことなく演奏会に気を取られているうちに年の瀬が来ることが通例だった。それでもお昼にケンタッキーを買ってきてみんなで車座になって食べたりして、ささやかに楽しんでいたのはほほえましい思い出だ。

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そんな中で、すごく記憶に残っている夜がある。高校1年生くらいだっただろうか。1日みっちりとリハーサルを終えて、まっすぐ家に帰った。何か少しでもクリスマスっぽいご飯が用意されているかなと、子供らしい期待を抱きながらドアを開けたら、ダイニングテーブルにはホットプレートが出してあって、母親がお好み焼きを焼いていた。

ものすごく衝撃だった。お好み焼き?なぜ?クリスマスに?しかも他に何もおかずはなくて、デザートのケーキもなくて、シンプルにお好み焼き。世間はクリスマスだというのに、部活で疲れて帰ってきて、何か気の利いたものでも用意してくれているかなと思っていたら、お好み焼き。

わたしは無性に悲しく、悔しい気持ちになって、「なんで!よりによって今日、お好み焼きなの!」と言い放ち自分の部屋に入った。自分がそんなに食卓に「クリスマスっぽさ」を求めていたのかと驚きながら、もはやちょっと涙ぐんでいる。それでも空腹には勝てないので結局ゆっくりと部屋を出てお好み焼きを食べた。母親のお好み焼きは別に大しておいしくないので、それを知っていたこともあって余計悔しい気持ちになったのだと思う。

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というのを思い出しながら書いていて、過去の自分の幼稚さに呆れているが、この時の発見は「クリスマスっぽさ」を求める自分がいた、ということだ。

もともと、子供が物心ついてからはしっかりクリスマスをやらなくていいというスタンスの家庭で(「小学生になったらサンタさんはもう来ないんだよ」と親に宣言されて、サンタさんの正体に気づいた)、わたしもおおむねそれに賛同していたはずだった。

所詮消費活動促進キャンペーンみたいなものと思っていたし。でも心の奥底では、クリスマスのデザインって全体的にかわいいし、キラキラした感じが訳もなくワクワクするし、食事も特別感があるし、と、人並みに欲していたんだなあ。

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あの時自分でもびっくりしたけど、親はそれ以上に「クリスマスっぽいもの食べたいなら、言っておいてくれたら作ったよ…」とわたしのキレっぷりにびっくりしたと思う。この場を借りてこっそり謝りたい……。

そんなことがあったのもすっかり忘れて、基本的にわたしはクリスマスに興味がない。去年は手作りおやきを作っていたし、一昨年はスノーシューをしていたし、さらにその前の年はなじみの居酒屋で過ごしていた。だったらあんなにお好み焼きに腹を立てなくてもよかった気がするが、もしかしたら「クリスマスっぽさ」を求める気持ちは全部あの夜に使い果たしたのかもしれない、なんていうふうにも思う。