初めてプリクラを撮ったのは、小学5年生の時。マセてるかな、生意気かな、と思いながら撮ったことを覚えている。

中学生になると、プリクラで写真を撮るのが当たり前になった。学校で毎日会っているくせに、休みの日になれば理由も無く友達とプリクラを撮った。

高校生になると、自分のスマホを持つようになった。加工アプリが流行りだして、プリクラより手軽にかわいい写真が撮れるようになった。色々なアプリをインストールしては撮り比べをした。

振り返ってみると、写真を撮るときはいつも加工ができるもので撮っていた。ノーマルカメラで撮った写真も、加工をしてから友達に送っていた。

後からでもきれいに加工できるなんて、全く便利な時代だ。だって、かわいく写りたい。後で見返したときにテンション上がる方がいい。不自然な加工は嫌いだったけど、それでも、「加工なし」で写真を撮ることはありえなかった。

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そんな感じで20歳を超え、社会人になってもなお、写真を加工し続けていた。

今の世の中、「男が、女が」という時代ではないけれど、自撮りで加工するという意識が高いのは女性のほうではないのかなと思う。女友達と写真を撮るときに加工アプリを使うのは暗黙の了解だが、男の人と写真を撮るときに加工アプリを使おうとすると嫌がられることが多々ある。

先日、高校の時の同級生の男子と会う機会があった。お互い社会人になってから会うのは今回が初めて。高校の時から馬鹿騒ぎして遊ぶ仲だった。
「写真、撮ろうよ」
私からそう言ったものの、スマホを取り出してから少し考える。

ノーマルカメラだよな……?高校時代、あまり加工アプリ好きそうじゃなかったし……。まあ、後からばれない程度に加工して送ればいいか。

そんなことを考えながら、その場ではノーマルカメラで写真を撮った。

その晩、今日撮った写真を送ろうと写真アルバムを開いて写真をチェックしたときに、「あれ……?」 無加工の写真だけど、悪くない。むしろ、表情が自然で、なんというか、「生きている」感じ。

もちろん、加工の写真のような肌のきれいさや目の大きさはないけれど、「そこに、私が在る」ということが実感できる写真だった。

「加工じゃなくてもいいんだ」
久しぶりに無加工の写真を見て、そう思った。言葉にしてしまえば当たり前のことなのに、目が覚めるかのような思いをした。

こんなにも、私の中では「加工すること」がしみこんでいたのだと気づき、ショックを受けた。

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どうして私たちは自撮り写真を加工するのだろう。よりかわいく見せたいから。自信が無いから。理由は色々あるだろうが、「加工した自分」は現実には存在しない。

存在しない自分を量産する世の中に、少しゾッとした。

それでも私は加工を完全にはやめられないし、加工したかわいい自分に満足することを完全な悪とは思えない。それと同時に、現実の自分がここに在ることも忘れないでいたいと思う。
同級生と撮った加工なしの写真は、今まで撮ったどの加工写真よりもお気に入りだ。