私は2024年、26歳になる。

高卒で就職した人なら社会人8年目、大卒で就職した人なら4年目となる年齢だ。

結婚して子供がいる人もいるだろう。仕事が楽しくて夢中になっている人もいるだろう。

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私はといえば、10年間ほど他責と自責を繰り返し「自分がなぜこんなみじめな目にあうのか」と嘆くだけで日々を無為に生きてきた職なし彼氏なしだ。

今の私だから無為と表現できるが、長年の鬱状態で視野が狭まってしまい、「何かに依存することでしか日々を生きられなかった」と言い換えた方が正しいかもしれない。その最中にいる時は苦しいものだ。

自分の人生を自分で生きる決意というか、腹を決めるというかそういった「覚悟」のようなものが2023年の年末になってメキメキと出てきた。

他責思考に陥るとやれ環境のせい、親のせい、学校のせい、会社のせい、自分の見た目のせい、頭が悪いせい…と枚挙に暇がない。

何かのせいにすれば楽だ。

女子の中で馴染めないからと1年で短大をやめた。短大をやめたらやめたでそんな自分を責め続けた。

いくつも心と身体の病気になった。

難病2つに精神疾患4つ、障害1つ。

病気になったから人生終わりなんだと投げやりに考え、人生から逃げてきた。

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病気を抱えていても試験や仕事を乗り越えたり、コミュニケーションが上手くなくても社会というものに馴染むべく努力をしたり、多くの人が未来を良くしようとしている中で「今は休んでいていいんだよ」「辛かった分逃げてもいいんだよ」と言ってくれる周囲の声に甘えて、目の前の快楽(過食、エンタメ、買い物、インターネット)に集中して生きてきた。

やさしい声をかけてくれる人ばかりの環境で、この上なくありがたいとも思う。

恋愛のスタイルも今思えば依存。「この人なら私の人生どうにかしてくれるかも」と過度な期待をして付き合ったり、自分から主体的に行動したことがなく、相手に楽しませてもらうことに慣れすぎていた。

完全に依存しないということは生きる上では難しいことなので、何事も適度にほどほどにが良さそう。

2024年は「自分が人に与える側に回る」「自分の頭で考える」「一瞬の気分や快楽で行動をしない」「人や性別によって態度を変えない」ということを意識した上で、人生を楽しめるようになる。

「なりたい」だけじゃ願望に過ぎない。「なる」と決めたら上手く行く気がする。

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小学生の時、「挨拶は自分から、にこやかに」と先生が言っていた。

そんな人として当たり前のことがいつしか頭から消えてしまっていた。相手からされるのを待っていちゃだめだ。

口から出るのは不平不満、愚痴ばかり。そんな状況では掴めるはずのチャンスもラッキーも巡ってこないだろう。

どんな状況も楽しめるか楽しめないか、すべて自分次第なんだ。

今後もし窮地に立たされた時も、笑顔でいよう。

何かを責めても現実は変わらない。人から何を言われても、私は私であなたはあなた。

生まれ持ったものの多くは変えられないけれど、変えられることもある。

前髪で隠していた額を見せ、かがみに向かってニッコリと微笑んでみる。うん、なんだかうまくいく気がする。