クリスマスは子どものころから好きだ。
今年のカレンダーには、クリスマスイブは日曜日にある。
特にこれといった予定はないのだけれど。
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社会人になって5年目の冬。
結婚をしていなければ、彼氏もいない。
“ひとりであること”をふとした瞬間に意識する。
それを悲観する必要はないし、たとえ焦って恋愛をしようとしてもろくなことがない。
そういうことをここ数年で、少しずつ覚えてきた。
でも、やっぱり今年のクリスマスイブをひとりで過ごすなら、あまり外出はせずおうちにこもって、少しクリスマスっぽい料理をして過ごそうと思う。
話が少し長くなってしまったのだが、わたしが伝えたいことは「クリスマスが今、とびきり楽しみ!」というマインドではないということ。
それでも、クリスマス仕様の装飾を街で見かけたり、クリスマスソングを耳にしたりすると、自然と懐かしくなり、心が温かくなる。
ひとりでいても、昔と変わらずにクリスマスが好きと思えるのは、毎年、クリスマスのお祝いを欠かさずにしてくれた家族と、小中学校時代の友だちのひとり、Wちゃんのおかげだと思う。
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わたしは、小学5・6年生までクリスマスイブの夜、枕元にプレゼントをそっと置いてくれていたのは、サンタクロースだと思っていた。
毎年12月になると、今欲しいものについてサンタに向けて手紙を書いた。
背が高いであろうからと、それを部屋の中から庭に向けて窓ガラスの一番高いところにセロハンテープで見えるように貼った。
母には、「あんまり高いものをお願いしたらサンタさん来なくなっちゃうよ」
と忠告を受けていたので、子どもながらに年相応の価格のものを選んでいた。
毎年、クリスマスツリーも飾っていたし、クリスマスイブには家族全員で、白いクリスマスケーキを食べた。
クリスマスは、自分の誕生日以上に心待ちにしていた行事だったかもしれない。
ずっと欲しかったものをもらえること自体が嬉しかったけれど、それは誕生日プレゼントとは一味違う。サンタクロースからの贈り物であることが何より嬉しかった。
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いい子ではないときも沢山あったけど、「一年間、ちゃんと見ていたよ」と認めてくれているような気がした。
もちろん「本当にサンタさんはいるんだろうか?」と疑問を抱くこともなくはなかった。
小学5年生の時に、友だちのWちゃんにサンタクロースについて熱弁したことがあった。
それは、サンタクロースがいるかいないかの話ではなく、「サンタクロースに何を頼むの?」とか、「昔、わたしのお兄ちゃんとお姉ちゃん、クリスマスイブの夜に鈴の音が聞こえたらしい!」という類の話をした覚えがある。
Wちゃんは、その話を快く聞いてくれたので、「やっぱり、サンタさんはいるんだな」という確信でわたしの心は満ち溢れた。
それから後々、クリスマスプレゼントを枕元に置いてくれていたのは自分の父親だったことを知った。
数年後、Wちゃんにサンタクロースについて話した当時のことを話すと、その時にはもうすでに、Wちゃんはその事実を知っていたことがわかった。
彼女は、私を傷つけないように話を合わせてくれていたのだった。
ある意味ピュアな私の心をそうやって尊重し続けてくれた家族や友だちのおかげで、わたしは今もクリスマスが好きでい続けられているのだと思う。
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いつか、わたしも子どもを持ち、サンタクロースの役割をする日は来るのだろうか。
そんな日が迎えられたらきっと素敵だなと思う。
でもそれは、今月迎えるクリスマスをひとり楽しんでみたり、日々の中で、自分の好きなことに全力で向き合い、成長した先で出会える気がする。
そんなことを考えていたら、『Yesterday is history. Tomorrow is mystery. Today is a gift. That’s why we call it “the Present”.』(昨日は過去。明日は謎。今日は贈り物。だから今をプレゼントという。)
昔、誰かに教えてもらった、アメリカ人の作家アリス・モール・アールの言葉を思い出した。
わたしは、子どものころだけでなく、今も、しかも毎日プレゼントを受け取っている。
日々のプレゼントを大切にしながら過ごしていきたい。