私が育った家では毎日3食食べることが普通で、母は毎朝朝食を用意してくれていた。
そして私は、その朝食が苦手だった。

朝起きたら、丁度いい室温に設定されたダイニングに、温かいミルクティーとトーストされた食パンがあって、その横にはジャムやバターが用意されている。
なんて幸せな光景だろう?映画のワンシーンならば、心が温まるシーン。
けれど、私にとってそれは大嫌いな学校へ行くための準備をする場所。
粗相をしないように気を付けなくてはいけない場所。
そんな暗く、重たい場所だった。

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身体と心が自由である状態を好む私は、学校が大の苦手。
できることならばずっと外で木に登ったり、砂遊びをしたり、鉄棒をしたり……そんな風に過ごしたいと思っていた。
勉強は苦手じゃないけれど、大した興味がない事のために、机に向かってじっとしている時間が苦痛だった。
そう、いわゆる多動。

用意された朝食を食べてしまえば、あとは服を着替えて学校へ行かないといけない。
なるべく先延ばしにしたいとダラダラと食べていたら、今度はピシャッと母から叱られる。
「早く食べなさい!」
「綺麗に食べなさい!」

そして多動な私は、何に対しても変化を好む。
だから毎日同じ食パンというのもまた辛かった。けれど美味しくなさそうに食べるとそれもまた母に叱られる。そんな毎朝。
今思い出してもただただ辛い時期だったなと思う。
お陰様で、大人になった今食パンを手に取ることはほとんどない。

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3年前、私は実家を出た。
最初は、インテリアも食べるものも、買うものも、全て自分で決められる!
なんて自由なんだ!最高!!なんて思ってはしゃいでいた。
その喜びは今でも変わらないけれど、少し前から心の奥の方をたまに冷たい風が吹き抜ける。
あぁ私、1人なんだ。
お金を払わなければ、誰もご飯を用意してくれない。お金で買った食べ物は、私だけのために作られたものではない。
そう感じることが増えた。

先月、実家のペットが体調を崩してしまい急遽帰省した。
その日、久しぶりに母が私のために用意してくれた朝食は温かくて、美味しくて、安心する味だった。
私のリクエストで、食パンではなくお米を中心とした和風朝食。
温かいお味噌汁をすすりながら、あぁ、あの頃の私は未熟だったんだと思った。

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私は今も昔と変わらず日々変化を求めているし、できることならば仕事へ行かず、ずっと旅をしていたい。
食パンももちろん苦手。
けれど昔と違って苦手なことを受け流す力も、好きなものを選択する力も身に付いている。今朝だって、食パンじゃなくてお米がいいと言えたのだ。
仕事だって、自分で小さな変化を付けながらなんだかんだ楽しめている。
私は苦しみながらも生きてきた中で、いつの間にか自由を手に入れていたんだと気が付いた。

一生不変なものは存在しない。
物も、時間も、人も、そして自分も。
いつかきっと、あの頃は苦しかったなと思い出せる時が来ることになっているようだ。

私のあの、朝食のように。