一日のうちで一番好きなのが朝ご飯だ。三食、朝ご飯を食べてもいいくらい、朝ご飯的なメニューが好き。ダイエットのため、夕飯は軽めかつ早めに済ませるので、朝は心地よい空腹とともに目覚める。例えば頂き物のケーキがあったとする。夜遅く食べたいのをぐっと我慢して、翌朝に取っておく。「明日の朝、あれを食べよう」と楽しみにしながら眠りにつく。翌朝、体重計に乗り、体重が増えていないことを確認してから食べるケーキの美味しさといったら。

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こんな私だから、ホテルの朝食バイキングは大好物だ。翌朝のために、前日の夕飯を抜くことさえある(せっかくの観光地で、メインとなる夕飯をパスするなんて、と呆れられるが)。これは別に、神戸北野ホテルの「世界一の朝食」のように豪華なものである必要はない。ビジネスホテルの、ごくありふれた朝食バイキングでも、私はわくわくする。冷静に考えれば、出てくるものは、パン、卵、ソーセージ、シリアル、サラダ、コーヒー、ジュースと食べる前から分かっている。私は食の好みが保守的なので、珍しいものがあっても試してみる方ではない。どんなホテルに泊まってもバイキングでは似たようなものを取って食べている。それなのに、これほど高揚してしまうのは、いったいなにゆえだろうか? 目の前に食べきれないほどの種類があって、いろいろなものを少しずつ食べられるのが良いのだろうか。私は小食のわりに、いろいろなものを食べてみたい方なのだが、自宅だと、朝から準備できる種類には限度がある。たとえ全部食べられなくても、和洋折衷、目の前にたくさんの選択肢が用意されていると、豊かな気持ちになるものだ。私の友人で、ふだん朝は食べないのに、ホテルの朝食バイキングになると、がぜん食いしん坊になる、という人がいる。朝食バイキングは、何か人を駆り立てる不思議な魅力があるようだ。

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コロナ禍でホテルが朝食バイキングを中止したのは、私にとっては残念なことだった。が、代わりにルームサービスの朝食の魅力を知った。早朝、こちらはまだ身づくろいもしていない時間に、自分より若いホテルスタッフが、髪をぴしっと結い上げ、ぱりっとした白衣に身を包んでワゴンを運んできてくれる。ぴかぴかに磨かれた銀製のコーヒーポットから注がれるコーヒーの新鮮な香り。他人に上げ膳据え膳してもらうと、パンひとつでも無上に美味しく感じられる。バスローブ姿のままベッドでコーヒーを飲む、この怠惰な喜びよ。わが家は躾に厳しく、子供の頃、朝ご飯の前には着替えて席に着かなければならなかった。結婚してからは、夫より先に目覚めて化粧をし、朝食作りにとりかかっている。寝巻のまま、朝ご飯を食べるのを、一度やってみたかったのだ。クロワッサンをカフェオレに浸けてべちゃべちゃにして食べても人目を気にしないでよい。こういうのは、おひとりさまでホテルステイした朝にやるのに限る。

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朝活という言葉が定着するのと同時に、朝ご飯を外で食べる、というのも静かなブームとなった。私は喫茶店のモーニングが大好きだが、なかでも京都のイノダコーヒはおすすめだ。朝からビーフカツサンドをがつんと食べることができるのも、前夜の節制のおかげ。やわらかい牛肉にカリっと焦げ目のついたパンは、するするとお腹に入ってしまう。アイスコーヒーを注文すると、あらかじめミルクと砂糖を入れてもってきてくれるのも、私好みだ。ところで、朝はご飯派かパン派か、というのがあるが、私はパン派である。ご飯はお腹に溜まりすぎて午前中に眠くなるからだ。

太宰治の小説『斜陽』に、病気で朝は食欲がない娘に向かって、母が「朝御飯が一番おいしくなるようにならなければ」と言う場面がある。朝からもりもり食べられるのは健康の証なのだ。