あ、カナダ行こう。ふとした思い付きから中学二年生の冬をカナダで過ごした。ほんとに少しの間しか滞在しなかったけど、それまで日本の教育にズブズブに浸かっていた私にとって、天地がひっくり返るような経験だった。

そのころ私の学校生活は暗黒期に突入していた。誰もが経験したことあるような部活での人間関係問題にぶつかり、フラストレーションはマックス。きれいな心の持ち主は映画「グレイテストショーマン」の中にしかいないと思っていた。

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ある日、学校から海外短期留学のパンフレットをもらった。旅行会社がやっている、留学というよりは修学旅行のようなあれだ。以前から毎年のように親にすすめられていたが、知らない人と旅行に行って何が楽しいのか、と却下していたものだった。なぜ今年は生きたいと思ったのだろう、なんてことはぐちぐち考えなかった。行きたいものは行きたいのだ。幸い、私を海外に送り出したがっていた母親に一瞬で許可がもらえた。

パンフレットを受け取った瞬間のワクワクは、長い準備期間も消えることはなかった。普段なら面倒だと感じるような、スーツケースを借りたり、必要な服を準備することすら、楽しいことのように感じた。そう、浮かれていたのだ。待ちに待った出発の日は意外とすぐ来た。

頭の痛くなるような日常から抜け出した先で、知らなかった世界を見た。カナダは何もかもが新しく見えた。ポップなバックをもって学校に行くこと。自分の好きな服を着て受けた体育の授業。凍っている雄大なナイアガラの滝。超荒っぽいホストマザーの運転。メープルツリーのフェスティバルで食べた雪で凍らせた飴。スーパーに売っているお菓子の袋にすら感動した。今でもホストファミリーの柔軟剤のケミカルっぽい甘いにおいを覚えている。

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楽しいことだけでもなかった。私は英語が全然しゃべれなかったので、折角組んでもらったバディとはあんまり話せなかった。海外の通信費が高いことに気付かず、新しい友達と調子に乗ってチャットしていたら、1週間で5000円分も会話していたこともあった。ホストファミリーとコミュニケーションを取るには、シャイとか言ってられないことも学んだ。

この経験を通して自分の常識が壊れた。新たな常識を構築するほどの長さは滞在しなかったので、必然的に帰国後に様々な疑問を感じた。日常の見方が変わった。アインシュタインが言ったとか言わなかったという「常識は18歳までに身に着けた偏見のコレクション」という言葉があるが、あの時新たな偏見が加わったのだけは確か。

今思えば、あれはただの現実逃避だったのかもしれない。単調な学校生活から飛び出したかった私が、「短期留学」という都合のいい言い訳を見つけただけ。

ただ少なくとも、それによって救われたのは確かだ。カナダに行ったおかげで自信がついて、部活相手とやり合うだけのメンタルエネルギーを得たし、高校入試の時に得意げに「留学に行ったことがあります」と発言したことは少なからず合格に寄与した筈だ。いま英語系の学部で勉強していることもカナダで感じた言語の壁を克服するためである。

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こうやって見ると私ってなんて単純なんだろうと思う。ちょっとした直感からカナダに飛んで、それが高校や大学へのモチベーションにつながっている。海外に憧れがあったとしても、安易だなと思うこともある。とくに理由はなくいきたいから行っただけなのに、何かいい感じに人生が進んでしまっている。逆に怖いと思うこともある。特に明確にやりたいことがあるわけではないから、このまま進んだ先に何もなかったらどうしよう。

でもやっぱり、ほんとのほんとは、そんな自分を気に入っている。直感に従ってよかったと、心から思っている。時間は未来から過去に流れているらしい。直感に従うことをいいことに出来るのは未来の私だけ。やってやろうぜ!