2023年3月から、かがみよかがみにエッセイを投稿し始めた。なので、かがみすと歴はもうすぐで10ヶ月だ。

はじめはひたすら、週に一回出されるテーマに応じた内容を書き綴ることを楽しんでいた。もちろん、それは今もそうだ。しかし最近は、内容以外の部分でも楽しみ始めた。

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それは、タイトルだ。
かがみよかがみでエッセイを書いたことがある方は分かるだろうが、このサイトでは、投稿時に自分でタイトルをつけることができる。制限は35文字以内。しかし、エッセイが採用された場合の最終的なタイトルを決定するのは、編集部の方だ。

投稿した時に自分でつけたタイトルのまま掲載されることもあるし、編集部の方のタイトルになるときもある。私の場合は、後者のほうが圧倒的に多い。

何本もエッセイを書くうちに、私は、そのまま掲載してもらえるようなタイトルをつけることを目標とするようになった。
これは別に、自らのタイトルを直してほしくない、ということではない。「直す必要がない」と判断してもらえるようなタイトルをつけられるようになりたい、と思うようになったのだ。

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私は会社員として働いているのだが、担当している仕事内容のなかに、ニュースの記事の見出しをつける、というものがある。エッセイのタイトルを考えるのとは毛色が少し違うが、似ている部分もある。文章のなかから、内容を伝えるために絶対に必要なキーワードをピックアップする。

そして、重要な部分や面白い箇所を見極め、それを簡潔な言葉で表す。重複していたり、要らない語句は省く。そして余裕があれば、読者が関心を持てる引きのある表現を探る。これらの過程を踏めばある程度のクオリティにはなる、という部分は共通していると感じている。

なので、極力上記の方法でエッセイタイトルを考えるようにはしているのだけれど。結局、直しは入るし、大抵は「確かにそっちの表現のほうがいいな」と納得させられることのほうが多い。そりゃそうだ。相手は毎日エッセイのタイトルをつけているプロなのだ。表現で勝るほうが難しい。

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そう分かってはいるけれど、それでもやっぱり、このままでも大丈夫だ、と太鼓判を押してもらえるタイトルをつけたいという思いが出てくる。一応自分もこれに近いことを仕事にしているんだ、というプライドからくる気持ちなのだろうか。ニュース記事とエッセイでは性質が変わる、と分かってはいても、なんとか食らいつきたいと思ってしまう。

今のところ、自分に足りていないと感じているのは「遊び」のある表現だ。
最低限必要な語句を入れ込むことは出来ても、それらを活かすための気の利いた言葉選びが足りていない。読者が「おっ」と関心を持つような、思わずページを開いてしまうような。そういう表現力が、まだまだ備わっていない。

難しいのが、遊びに走りすぎてもいけない、という部分だ。引きのある表現を探るあまり、内容の核心から離れてしまっては意味がない。的確に中身を伝えつつ、興味を惹ける言葉の組み合わせを考える必要がある。

2024年は、これらのことを意識しつつ、よりよいタイトルを発案出来るようになりたい。少なくとも、23年よりは編集部の方を頷かせる表現が出来るように。より語彙力を磨いていくことを、ここに誓う。