ここ数年、「1年の抱負」とは無縁だった。
理由は簡単である。どうせ守れないからだ。
ダイエットも、英語の勉強も、ホットヨガも、全然続けられていない。
いつの間にかめんどくさくなって、あれやこれやと理由をつけてやるのを先延ばしにしているうちに、すっかり存在を忘れている。
思えば小学生のころから、「毎日コツコツ」「継続」が苦手だった。
通信教育は未着手のテキストがうず高く積り、夏休みの最終日は計画的に終わらせることができなかった宿題を前に打ちひしがれる。
何度自分に期待をかけて、それを裏切られてきたことか。
私は私自身との約束を守れない。
◎ ◎
大学生くらいのころ、自分に対して期待するのをやめたら、すっと心が楽になった。
「しょうがないよね、これが私だもん」
これまでは人と比べて自分が劣っていることに落ち込んでいたけど、諦めてしまえば何ということもない。そういう不完全な自分も含めて、まあいいよね、と思えるようになった。
ムダ毛は夏しか剃らなくなったし、冬はほぼ毎日スウェットを着るようになった。
6年履いているスウェットは、膝の部分が破れてダメージスウェットになった。
自分への期待がないと、人に対しても期待しなくなった。
これまたびっくりするくらい心が軽くなった。
友人が約束の時間に遅刻してきても全然気にならない(自分も遅刻するし)。
飲み会に誘った先輩がドタキャンしてもだいじょうぶ。そういう日もあるよね。
同僚にした確認連絡、全然返信こないけど問題ないよ。自分で調べるからさ。
そうやって、色んなものを手放し、どんどん身軽になった私は、ふと気づいてしまった。
めっちゃ退屈かも、私。
◎ ◎
自分に期待をかけないということは、努力の末にある予想外の結末や幸運の女神の微笑みに、触れることができないということだ。
それは既に決められた自分のコンフォートゾーンの中で、ぬくぬくとしているだけのぬるま湯のような日々。
面白くない。
他人に期待しないということは、その人と深い関係を作れないということだ。
信頼は、期待に応えることの積み重ねで培われるものだから。
裏切られた期待に対して、諦めるのではなく、改善を要望することでぶつかるかもしれないけど、関係性は一段深まると思うのだ。
安全圏の中にいるだけじゃ手に入れられないものが、この世には確かにある。
そうはいっても、今の色んな期待から解き放たれた自分の身軽さを手放すのもなんだかなあ、なのだ。生きやすくなったのは間違いないんだから、またスタート地点に戻る必要もないだろうと思う。
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じゃあ私は一体どうすればいいんだろう。
悩んだ末に、私は折衷案を考え出した。
「ちょっとだけ、自分に期待してみる」ことだ。
他人への期待は、やっぱりあんまり必要ないと思う。
誰にも彼にも期待していたら、それを裏切られたときのショックにエネルギーを使いすぎてしまう。程よく期待し合わない関係が、今の私には合っている。
でも、自分になら。自分への小さい期待なら。
失敗してもダメージは少ないだろう。
最近の自分への期待は、「早くお風呂に入って23時にはベッドに行く」こと。
これは意外と継続できている。
私は私からの信頼を少し取り戻した。
この調子で、もう少し他の期待もかけてみようと思っている。
だから2024年の私の宣言は、「カンダ、今年は自分に(ちょっぴり)期待します!」ということだ。
これまでのぬくぬくしていた古い私から脱皮して、ほんの少し自分のありたい姿とやらを目指してみる。
超久しぶりにかがみに投稿したのも自分への期待の表れだ。
乞うご期待、私。