朝ごはんをつくるようになったのは、中学生のころ。運動部に属していた私は、早朝からある部活に合わせて、家族より早く起きていた。毎朝5時には起きて、登校の支度をする。

当時は朝、スッキリと目が覚めることが多く、朝早くに起きることは苦ではなかった。何よりも、家族が起きる前に起床することがポイント。自分の時間を1分1秒でも長く確保することに意味を見出していた私は、どれだけ早く起きても、自分の時間を持てるのなら、と率先して早起きをしていたのだ。

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自分の時間を設けることと、もうひとつ、早起きをすることに目的があった。それは、朝食をつくること。自分の朝食は自分で作りたいと思ったのだ。もともと料理が好きな私。どこかしら、生活の中に自分で料理をするタイミングを作りたいと思ったのがきっかけである。

我が家の朝ごはんは、米を炊いて、味噌汁を作り、魚や卵焼きを焼く、昔ながらの朝食とは程遠い。ただパンを焼くだけのシンプルな朝ごはんだった。それでも、朝食の支度は自分でやる、という行為自体が大切だったのである。

今日はどんなトーストにしようかな、冷蔵庫にある食材を使って新しいレパートリーを作ってみようかな、など考えるのも楽しかった。付け合わせにスープを付けてみよう、昨日の残り物を今日の朝ごはんにしようなど、寝ぼけながら朝ごはんを考えている時間はとてもワクワクした時間だった。

休日もできるだけ自分で朝ごはんをつくることにしていた。特に日曜の朝は、家族で午前中から出かけることが多かったが、私は1人で家に残り、朝ごはんを作っていた。

ときには、家族分の朝ごはんをつくることもあった。我が家は朝、パンを食べることが多かったので、私が週末につくる朝ごはんは、フレンチトーストが多かった。兄弟も私がつくるフレンチトーストを気に入ってくれたらしく、ときにリクエストが入ることもあった。

中学生のときは、朝食くらい簡単な料理でも、料理をしていると満足できた。普段は母が台所に立つ。当たり前の光景だが、それを朝だけは私が体験している、そんな気分にもなった。

高校生になると、自分でお弁当を作り始めた。大学生になり、それが習慣化し、卵焼きが日をうごとに上達していったのがわかった。

毎朝ずっとキッチンに立っていたおかげで、自分の成長にも気づけたのは大きな財産になっている。社会人になった今は、昼食や夕食でしっかりと料理をするようになったので、朝ごはんはとても軽めに済ませてしまう。しかし、休日になると、今日は少し手の込んだ朝食を用意してみようと、メニューを頭のなかで巡らせるようになった。

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運動部に所属している中学生として、朝ごはんをつくるために早起きをする人は珍しいだろう。おとなになって自分でもそう思う。

親には頼らないで自立するのだ、という思春期の象徴的な動機でもあったが、朝ごはんを自分で作っていた中学生のころは、それがとても楽しくて毎日学校へ行くためのエネルギーを蓄えていたのかもしれない。私にとって料理は、ストレス発散になるもののひとつ。何かとストレスとして感じやすかった中学生の心も、朝ごはんをつくることでリフレッシュをして前を向けていたのかもしれない。

まだ完全に夜が明けていない朝5時から、トースターのつまみを回し、冷蔵庫を開けて頭を巡らせた私。窓に差し込む朝日の光とともに、少しずつ目を覚まし、部活へ行く準備をした。家族が起きてくる前に、借りぐらしのように食事を済ませてキッチンを後にする。タイムトライアルのような感じがして、少し楽しんでいた自分もいるくらいだ。

こうした中学生活を送っていた私。たとえ思春期であっても、このときにしていたことは役に立っている。朝起きて、朝ごはんを準備すること、手際よく準備ができて、予定していた時間にご飯が食べ始められたときはとても嬉しかった。食べ始めたい時間までに作れるメニューを考えられるようになったのも、このときの経験があったからかもしれない。自炊を楽しむようになった今も、時間は気にしてつくるようにしている。

これからも、中学生の時を思い出しながら朝ごはんをつくる瞬間があるだろう。きっとその度に、当時の私に思いを馳せる時間となるだろう。