日本三景のひとつ、松島。
遮るものがほとんどない真っ平な優しい海に、瑞巌寺へと続く朱赤の橋が映える。
はあ、と幸福のため息が漏れる。これぞひとり旅の醍醐味だ。

私は毎年、夏が近づくころに旅に出たくなる。2年前に初めて訪れた宮城県で、1泊2日のひとり旅を満喫していた。
誰かと行く旅も楽しいが、自分の心動く瞬間を心置きなく楽しめるひとり旅が、私は大好きだ。ただぼーっとその景色を眺め、頭を空っぽにする。そこに時間の制約はない。ただ思う存分、非現実の世界に浸る。

その場で私はスマホを取り出し、海に向けてカメラを構えた。旅中に感動するものに出会ったら、その瞬間をカメラに収めたくなる。それは私にとって至極真っ当な行動だった。はずだった。
「この非現実世界を味わっているときに、スマホを手に取る?」
いつになく強く、スマホを手に取る違和感を感じた。

◎          ◎

スマホ。それはどれだけ通知を切っていても、現実世界といとも簡単に繋がれるツール。

旅中でもLINEに上司の名前が見えれば返信をして、グループLINEが動けば迷わず既読をつける。当時店長として勤務していた居酒屋の状況が心配で電話をかけたり、逆にかかってきたりした。「今日は休みだから」と言えば文句を言われないような職場だったが、私からの返信が来ないことによって周りに迷惑をかけるのが嫌だった。そしてそのツケがまわりまわって自分に返ってくることも、わかっていた。

思えば私はこれまでのひとり旅でも、スマホを目に触れない工夫を凝らしていた。電車の待ち時間は本を読む。地図はGoogle マップではなく、駅前に置いてある観光マップをなるべく閲覧する。電車の時刻をいちいち調べないように、事前に時刻表を検索してスクショしておく。
ただ、写真を撮るときはいつもスマホを手に取っていた。道端で出会った人懐こいネコ、路線バスから唐突に顔を覗かせる夕日、飽き足りないほど写真を撮ってしまう海沿いの遊歩道。そんな心動いた瞬間を、現実に引き戻すツールと共に過ごしていた。

カメラ欲しいな。松島で感じたスマホを手に取る違和感は、実際の行動へと変わっていった。
私は自宅に帰るとすぐカメラを調べた。うまく撮れなくてもいい。すごい機能が無くてもいい。手軽で可愛くて、旅が楽しくなるようなカメラを求めて。

いくつかの家電量販店をまわってパンフレットをもらいまくり、目星をつけたのがミラーレス一眼カメラだった。初心者でも扱いやすく、軽くてデザイン性もある。実際店頭に行き、付属品もお店の人に一式揃えてもらった。その合計価格、12.6万円。

私の人生でいちばん高額な買い物だったけれど、一切の迷いはなかった。あの感動を奪われないのなら、これでスマホを手放せるなら、もっと払ってもいいとすら思っていた。

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あれから2年、今でもひとり旅に行くときはカメラを離さず首から下げている。カメラの機能はまだ半分も使いこなせていないと思うけれど、シーンに合った設定方法を調べて実践するまでには欲が出ている。もうスマホのように、現実世界に引き戻されることもない。

旅中はやはり、完全にスマホを手放すことはできない。最近では旅先で知り合いと待ち合わせることもあるし、美味しい飲食店を探すにはその場でGoogleマップを元に調べるのが早い。
けれど、自分が心動く瞬間、そのときだけはスマホを手放す。現実世界を離れて、思う存分その景色と感動に浸るために。