人の生活に興味が無くなったのはいつからだろう。SNSに投稿される人々の近況や過去の思い出。少し前までキラキラして見えていたのに、いつからかそれらは、私の中で光を失っていた。

隙があればスマホを見るのが習慣化していた毎日。息をするようにSNSを開き、何も考えずに画面をスクロールしては、ぼんやりと画面の中の世界を見ていた。

そして、ただなんとなく「イイネ」をつけては次の投稿に目を移していくという繰り返し。その「なんとなく」の動作の中で感じる「イイネ」は本当にいいものなのか?なんてことを最近思うようになった。簡単にアクションできることがSNSの「イイネ」の良さでもあるのだろうが、その行動に心が追いついていないということに、悲しいほどの現実を感じたのだった。

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「人に興味が無くなった」という意味では、SNSに限った話ではない。

20代前半の頃は楽しいと思っていた「他人とのダラダラメッセージ交換」も今ではやる気がないし、そもそも自分から人にメッセージを送ることが無くなっていた。生産性のない会話、何がゴールかもわからず送りあっていた多くのスタンプ、画像。それら全てが今の私には必要のないものに変わっていったようだ。

もはや、人とつながる手段であるスマホ自体から、少しずつ距離を置いているような気さえする。

おそらくだが、人に興味が無くなったのと、人に自分を知ってほしいと思わなくなったタイミングはほぼ同時なのではないかと思う。承認欲求の塊だった私が、人からの視線に疲れを感じ、自分の居場所は人の心の中ではないと悟ったからである。

逆も然りで、私の心の中に、様々な人たちの居場所をつくるスペースなど無いことにも気づいた。どうやら、私の心はそこまで広く豊かなものではなかったようだ。

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それでも、仕事やプライベートの関係で必ずスマホは開かなくてはいけないし、完全にSNSからの離脱をはかっているわけでもないので、今でも日中はスマホとSNSはワンセットだ。人に興味は無くなったとはいえ、それは全ての人に対してではなく、好きな人や親しい人の近況は少しは知っておきたいし、そう思っていない人に対してもさほど見ることに苦痛までは感じていない。

ただ、SNSやアプリの通知に正直イラっとするときも時々あるが、言ってしまえば、それも一瞬の出来事なのだ。

1日の中で完全にスマホを手放す瞬間、それは寝ている時だ。ベッドに入り、寝る前に私はスマホを「おやすみモード」に切り替える。そうすることで、寝ている間はスマホの通知が鳴ることがないので、睡眠を妨げられることもなく、夜中の不意な連絡に心を乱されることも無いのだ。

このモードに切り替える瞬間、私の心はものすごく軽くなる。それはそれは、私が掛けている羽毛布団以上に。やっと世界から離れられる瞬間。私だけの時間。誰も侵すことができない大切な自由な時間。私自身はただ寝ているだけで、朝起きたらまたスマホを開く生活に戻るだけなのだが、それでも、スマホから完全に離れられるスマホのシステムと時間には本当に感謝したい。

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人は人と繋がらなければ生きていけない。スマホというツールがあるからこそ、人は簡単に繋がることができ、そして、簡単に離れることもできる時代になった。ほんの数十年前までは、手紙1通届くのに多くの時間を要したが、今では指先で一瞬にして相手に思いを届けることができる。それはとても便利なことだが、時間に対しての我慢ができなくなってきているのも事実だ。

私自身も、相手からの返信がないことに焦りや不安を感じることがある。何か失礼なことを言ったのではないか、返信したくない理由が私に対してあるのではないか。考えれば考えるほど沼にはまって抜け出せなくなっていた昔の自分。

でも今は違う。相手には相手のペースがあるし、必ずしも私と同じ価値観で生きているわけではないのだ、と。そう思うことで変に焦ることもなくなり、心配になって何回もスマホを開くこともなくなった。

心理的にも物理的にも、スマホと距離を置くようになった今の自分。案外嫌いじゃないかもしれない。流行や他人の視線を気にすることなく、これからも私は私のペースで生きていく。