健康的に歳を重ねることほど喜ばしいことはないが、私はあまり長生きせずに死ぬときはコロっと苦しまずに逝きたい。それと、家族であってもあまり周りに迷惑をかけず、旦那と二人三脚で生き抜きたい。まさにこの目標は、私の祖父母の姿を見て思うようになった。

介護をする側も、介護をされる側も、それぞれの葛藤があるということを、介護している両親や介護される祖父母の姿を間近で見て学んだ。

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私の大好きな祖母は96歳まで人生を全うし、安らかに眠りに就いた表情で火葬場でお別れをしたのを、今でも昨日のことのように覚えている。大きい病気を患っていたわけでもなく、それは突然の別れではあったが、それが彼女の素晴らしい寿命だったのだろう。

「また来週末、遊びに来た時に私がカレー作るね!!」なんて、いつものように祖父母の家を訪れた日の2日後、祖母は空へ旅立った。

祖父母ともに90歳を越えても、ヘルパーなど雇うこともなく、2人支え合って自分たちの力で暮らしていた。他人が家に上がることを極端に嫌がった祖母は、最後の最後まで自分の力と祖父の助けを借りて生き抜いた。

最期に祖母が家で息を引き取った時も、トイレに腰を下ろしたところで深くため息をつき、支えていた祖父の腕の中で静かに逝ったそうだ。

そんな風に急に脱力した祖母が返事をしなかったことに、祖父は違和感を抱き、娘にあたる私の母に連絡をして救急車を呼んだ。救命救急隊員が家に着いた頃には、もう既に祖母の脈はなかったそう。

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超高齢夫婦の二人暮らしを休みがあれば様子を見に行ったり、定期的に料理を作り置きしたりと、普段から側で支えていた私の母。仕事と自分の家族のことと、忙しい合間を縫いながらも空いた時間があれば数時間の滞在だとしても会いに行っていた。

そんな、いつも全力で他人想いな母のことを、私は心の底から尊敬する。母が自分の親に尽くしているように、私も将来は「微力ながらも両親のために出来ることを尽くしたい!」と、介護している親を見て強く思うようになった。

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それでも、「出来ることは、自分たちでやる!」という祖父母のスタンス。掃除も洗濯も料理も、結婚してから家のことは祖母が仕切っていた。専業主婦だった祖母が思うように身体を動かせなくなり自力でトイレに行くのが精一杯になってからも、それをカバーするように祖父が率先して家事をするようになった。

料理が超得意な祖母は、祖父が一生懸命作った料理に辛口なコメントで、祖父が落胆することもしばしば。それでも思うように出来ないことが増えるにつれて、祖母は「ありがとう」と、祖父に感謝を示すようになった。

そんな2人で助け合って生きている姿を見て、本当の「愛」、純粋な心に、私は感動を覚えた。歳を重ねても、変わらない思いやりで、私も旦那と手を取り合って温かい最期を迎えたい。