自他共に認める旅好きの私は、友人とランチに行くと、世間話のように「次はどこに行きたいの?」と決まって問われる。数年前、私は必ずポーランドと答えていた。日本においてはイタリアやフランスがヨーロッパ旅行として主流のため、割と不思議がられた。

私としては理由は明確だった。1つは、女性研究者として尊敬するキュリー夫人の出身であること。次に、幼少時よりピアノを趣味としておりショパン博物館に行きたかったこと。そして、ヴィエリチカ岩塩坑。なぜかわからないが私は塩の結晶構造が大好きで、岩塩坑を知った時から魅入られていた。理由が3つあれば行くしかないだろう、そんな単純な理由だった。

◎          ◎

ある時「私も行きたい」と言う友人が現れた。理由は一生行かなさそうだから、だった。まぁ確かにそうかもしれない。ポーランドに行くことに懸けている人などそうそう出会うことない。しかし私は当時忙しく、「いつか一緒に行こうね」とその場では流した。

数ヶ月後、「あの約束忘れてないよ」と友人は再び言った。これは今だ、この機会を逃してはいけない、と勘が働いた。

当時は円高燃油安。おまけに私が旅程を立てるのが趣味だったのもあり、飛行機と宿代で約10万円とう破格の値段で旅行に行けた。それでも大学生には大金。バイトで作った貯金を崩した。

また当時は忙しくて時間を作るのも精一杯だったが、なんとか先生を交渉して休みをもらった。それが適切なことだったのかは今だにわからないし、答えを出すつもりもない。

◎          ◎

出国はクリスマスイブ。街中にはツリーが飾られイベントムード一色。そんな人々を脇目に飛行機に乗り、ワルシャワの空港に到着した。ガラリと雰囲気が変わった。人がいないのだ。それに保安官も仕事に積極的でない。この小さな違和感は、街に出るとより一層深まった。レストランが閉まっている。

この時私は気がついた。今日はクリスマスだと。ヨーロッパの人にとってクリスマスは日本でいうお正月。博物館も何もかも閉まっていた。やっと見つけたレストランで、私は餃子のような料理を食べた。ピエロギ、というらしい。無類の餃子好きの私にとっては幸せ以外の言葉が見つからなかった。

私たちはその日中に首都ワルシャワから古都クラクフまで電車で2時間かけて移動した。明日の早朝、岩塩坑のツアーに参加するためだ。

◎          ◎

岩塩坑には自力で行く方法もあったが、まだ当時は若く、なんとかなるだろう精神で、海外ツアーを予約した。翌朝5時、寒さで震え予約がきちんと取れているか不安の中、迎えの車がきた時の安堵感は今でも忘れない。

ツアーも全て英語。参加者に日本人はゼロ。今思うと、英語ツアーで大丈夫だろう、という謎の自信は若さから来たものであるという理由以外では説明がつかない。

岩塩坑は本当に素晴らしかった。しかしそんなことより、気になったのは、マスコットキャラクター。NaClの確かな結晶構造でできたキャラクターは理系の私の心に刺さり、学科の友人に写真を送りつけた。

ポーランドはプロ向けの旅行地だなと思う。実際想定外な出来事続きで友人との間に嫌な空気流れる時間もあった。だから初心者には簡単にお勧めはできない。それでも料理は美味しいし、お酒も美味しい。心に刺さる観光地が一つでもあれば、行く価値のある国だ。私ももう一度行きたい、帰国の時にそう思った。

この時、2019年12月。大晦日に帰国し、年越しは家族と迎え、2020年になった。この年は、全世界の人にとって、衝撃的な一年になった。コロナ禍の始まりの年だ。3月に予定していた卒業旅行は全てキャンセルになった。

◎          ◎

今、ヨーロッパに行くには、飛行機代だけで20万を超える。今は社会人ではあるが、当時の値段を知る私にはちょっと手が出ない。あの時、行っておいてよかった。もっと旅行に行っておけば、という友人の言葉を聞くたびに、私はつくづく運がいいなと思う。

その後、都内のポーランド交流会に参加する機会を得た。あの時食べた料理や、あの時飲んだお酒が並び、シェフが自慢げに説明をする。ポーランドに行ったことがあります、と私が言うと驚きと共に、ポーランド人の誰もが喜んでくれた。

中でも相手の心を捉えたのは2つ。ピエロギが好きだ、というと目の色を変えて「具材はなんだった?」と話が膨らむ。もう一つは岩塩坑。「あそこに行ったの!?」とそれはもう、こっちが嬉しくなるくらい笑顔になる。キュリー夫人に憧れて研究者になった、それも相手に刺さるみたいだ。

その後、たまにポーランド関連のイベントに呼んでもらえるようになった。その時間は、私を少しだけ現実から夢の世界へと誘ってくれる。しんどい時の生きがい、私のもう一つの居場所、自分を見つめ直す時間となっている。

◎          ◎

あの時、金銭的にも時間的にも色々大変で、旅行には行きたいが、精神的にギリギリな時期だった。それでも全てを費やしてでも行く価値があった、行くべき時だったんだ今振り返ると思う。それから自分の心の小さな揺れ動きのタイミングを見落とさないように、日々暮らすようにしている。