私が1番直感で選ぶものは、基本的に学業に関することだ。高校も、今通っている大学も、ゼミも、1度もオープンキャンパスや見学に行かずに選んでいる。
こんなことを言うと真面目に選べと怒られてしまうかもしれないが、決して適当にあみだくじなどで選んでいるわけではない。通える範囲で知り合いが少ないところに行きたいとか、エスカレーター式ではないから大学からでも友達を作りやすいとか、ちゃんと理由はある。
ただ、他の候補と比べて悩むことはあまりなく、周囲から心配される程にあっさりと決めてしまう。しかし、直感で選ぶと割と失敗しないのだ。実際、私は高校生活も大学生活もゼミも、特に大きな不満もなく楽しんでいる。
ゼミや授業での直感
また、ゼミの中でも、発表に使う作品も直感で選ぶ。ゼミに限らず、プレゼン系の授業ではだいたい直感を使う。指定された短編集に載っている作品すべてに1度目を通して、なんとなく1番面白いと思った作品を選ぶのだ。
しかし私の選ぶ作品はどれも先行研究が少なく、参考文献探しに辟易する。どこにもない。本当にないのだ。Ciniiにも、大学の図書館にも、国文学研究資料館の論文データベースを調べても、出てこない。悲しい。
仕方がないので、図書館に篭って自分の考察を裏付ける当時の社会情勢などがわかる資料を探す。日本文学のゼミに所属しているはずが、気がついたら文学全集のスペースより社会学のスペースについて詳しくなってしまっていた。
近代日本の結婚や離婚についての本があるスペースに、地下の『日本文学大辞典』があるところと同じくらいまっすぐ迷わずに行ける自信がある。日本文学についてはしっかり学べているが、他の知識もほんの少しだけ付いてきた。
それはとても喜ばしいことなのだが、なにせかなり手間がかかる。他のゼミ生の発表と比べても、私だけ参考文献の欄のジャンルが違う気がする。
やめられない理由
それでも直感で作品を選ぶことがやめられないのは、やはり楽しいからだ。自分の言いたいことの大きな根拠となる資料を見つけたら、嬉しくなって図書館で小躍りしそうになってしまう。流石に図書館内では迷惑なのでそんなことはしないが、ある程度作業を終えて帰宅する時の足取りはとっても軽い。スキップしそうな勢いである。ウキウキで友達に報告するが、他のゼミや他専攻に所属している友人だとイマイチ理解してもらえない。悲しい。
直感を信じるということ
好きなことを続けることは苦しくて苦しくて楽しいと、有名なアーティスト達はよく口にする。私は絵を描いたり曲を作ったりすることはないので、何年もかけた苦しみをたかが1ヶ月の苦しみと同一視することは良くないかもしれない。
だが、苦しみながら資料を探した発表を褒められた時、めげずに続けて良かったと感じる。アドレナリンが出るとはこういうことなのだろうと、なんとなく理解できるのだ。
この文章を書きながらも、私は卒論に使う資料探しのことを考えて憂鬱になっている。しかし、きっといい資料を見つけて楽しく卒論を書けることを信じて、頑張って探していきたいと思う。
直感で行動するのは苦しいこともあるが、割と後悔はしないということを、私はこの文章を読んで目に留めてくれた人達に知ってもらいたい。