食べることが大好き。

お寿司も焼肉もラーメンも唐揚げも、食後のデザートも。美味しいものを食べた瞬間、脳みそがびりびりとしびれるから、きっと中毒性のあるいけないホルモンが出ているのだと思う。幸せまで一直線。地道に階段を一段ずつ上って掴み取るようなものとは違って、食べ物は超特急エレベーターさながら、あっという間に幸せの頂点へと導いてくれる。

そもそも咀嚼することが好き。食感のあるものを例えばサラダなどを、自分の歯でバリバリと噛む音と感覚が心地よい。トマトやきゅうり、パプリカなど、色んな素材や食感が、同時に口の中で転がっているのも、面白くて楽しい。

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咀嚼が好きと言っておきながら、飲み込むことも同じくらい好きだった。よく噛んでいない食べ物を少しだけ強引に食道に送ると、食べ物が狭い食道を圧迫しながら重力で胃まで落ちていく。身体に悪いことは重々承知。普段はゆっくりよく噛んで、食事をするよう心がけているけれど、それでもやっぱりストレスや欲に負けたとき、不健康な食べ方をしてしまう。 

そんな人間が食べ放題の虜にならない方が不思議なくらいで、例に漏れず私も、食べ放題が大好きだった。見ているだけでわくわくするような種類の食べ物を、好きなように好きなだけ食べていいあの空間。まさにテーマパーク。たくさん食べるとお金もかかるし、体重も増える。小食の方が可愛らしくて何かと良いとされるこの社会の中で、唯一食べ過ぎることが正義とされる場所。それが食べ放題。食べても食べなくても料金が変わらないなんて、食べた方が良いに決まってる!

私のこの価値観を2年程かけて同居人に刷り込んでいった結果、立派な食べ放題中毒者に育て上げることに成功した。そんな私たちはたびたび、宿泊ホテルの「朝食ビュッフェ」を楽しみに旅行に出かけることがある。

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その日は、神奈川旅行の2日目の朝。私たちは前日の夜に、中華街でたらふく食べ歩きをしたのにも関わらず、朝食ビュッフェへと足を運んだ。

白と青色が基調の本日のビュッフェ会場は、フェイクグリーンで品良く彩られ、爽やかな空気が流れている。地面から天井近くまで伸びた大きな窓の奥には、確か海が広がっていて、太陽の光を受けてキラキラと瞬いた。素敵すぎる空間に、わくわくは最高潮。それに伴って料理への期待値もぐんぐん上がる。

美味しい朝ごはん、楽しみすぎる……。並ぶ料理1つ1つに喜び合いながら、私たちは競うようにお皿を埋めていった。

ご飯と汁物、おかずたちとサラダをひとしきり取り終え、やっとこ席に着いた直後、私たちの隣の席に料理を持ったカップルがやってきた。落ち着いた雰囲気の大人な2人という感じ。私たちのテーブルと、人1人分ぐらいのスペースを空けて横並びになっている隣の席は、じろじろ見る気がなくても自然と目に入ってしまう。

こんがりと焼けたパンの耳のような色のワンピースに身を包んだお姉さまが、テーブルに置いたお皿。それに私は衝撃を受けた。料理がごく少量しか載っていなかったわけではない。そのお皿には食べ放題らしく、たくさんの食べ物が盛られていた。健康的なもののみが。

お皿を3等分するように、サラダ、お豆、ひじきがどーんどーんどーんと盛られたお皿。ダイエットや美容に良いとされるメニューのみを、お姉さまはフォークで優雅に食べ始める。

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すごすぎる。意識の高さにくらくらしながら自分のお皿に視線を落とすと、本格的なめまいに襲われた気がした。食べたいものを食べたいだけ取った、欲にまみれたお皿。ここにあるものが全て、これから私の胃の中に入ると思うとぞっとする。1日の摂取カロリーをきっと、この朝食だけで超えてしまうのだろう。お姉さまと隣り合って食事をするのが恥ずかしい。だけど……

私は一口サラダを口に運んだ。美味しい。幸せ。私は食べることが大好き。

私は気づいた。これは、私と彼女の「幸せ」が違うだけの話だということを。私の幸せは食べること。だけど彼女はそうじゃなかった。きっと今お腹いっぱい好きなものを食べること以上の幸せが、彼女の中にはあった。ただそれだけ。

だからどちらも恥ずかしがる必要も誇る必要もなくて、これは正反対の性格のあの子にも、いつも含みのある言い方をしてくるあの子にも、仕事に打ち込んでいるあの子にも言える。

今の私の幸せは食べること。だけど他の幸せもそろそろ見つけてみたい。いつまで好き勝手に食べていられるかもわからないし、幸せに感じられるものは多ければ多いほど、きっと毎日が楽しいはずだから。