スマートフォンのメモ帳は宇宙。
例えば友人から教えてもらった素敵な本のタイトルを羅列させたり、ブルべ冬の人にぴったりと話題のコスメを書き留めたり。すぐに新しいタイトルで作るので、古いものがどんどん下に追いやられる。スクロールバーをずいずいっと動かすと、あり得ないくらい恥ずかしいメモ書きが、そこにはある。

「なぜ私は振られたのか」

それは、昨年の5月にわたしが元彼に送ったメッセージの下書きだった。
全1500字ほどにもなる笑っちゃうくらいの未練は、未だに見返せないほど痛々しい。これが「そんなこともあったね」って誰かに話せるようになったら、わたしの悲しみも消えるんだろうか。忘れたい、とも思うけど、消えてほしくないなとも思う。わたしの心は曖昧で、我儘だ。そんなんだから振られたのかもしれない。

別れた事実だけは、なぜかはっきり身体が覚えていた

何度思い返しても、どうして振られたのか、別れることになったのか、その理由を思い出せない。
大学4年生の3月だった。もうすぐ新社会人、元彼とは約1年半同棲していた。そろそろ引っ越しもしなきゃね、と話しながら、実家に数日間帰省したあと、必要な髪留めなどを取りに彼の家に寄って、「今日は飲み会だよ。何時になるかは分かんないけど、帰ってくるからね」と口早に伝えた。お茶買って来てほしい、とラインが入っていたから、冷蔵庫の扉部分に2リットルの生茶を押し込んだ。彼は生茶が好きだった。
多分、分かった、と彼は言ったと思う。それからべろべろになるまでアルコールを飲んで、友達の彼氏が運転する車に乗って帰って、振られた。内容はあんまり覚えていない。なにせ随分酔っていたのだ。ただ、わたしは沢山泣いて、小さなローテーブルの上にはティッシュの白い山ができていた。汚いな、と思いながらもその山の頂にどんどん新しい塊を積み重ねた。

次の日、いつも通り小さなワンルームの1つしかない布団の上で、彼の呼吸を感じながら目覚めたわたしは、昨晩のことは嘘だったんじゃないかと思った。でも、ごみ箱にはあり得ないくらいティッシュが詰まっていた。もう一度目を瞑って、夢ってことにしてしまいたかったけど、もぞもぞしている間に彼が起きた。「わたしたち、別れたんだっけ?」と問うと、彼は重い瞼(眠そうだったというのもあるけど、彼は大変な一重だったのだ)を擦りながら「そうだよー」と言った。どんな理由で振られたのかは覚えていないのに、その事実だけはなぜかはっきり身体が覚えていた。心臓に消えない烙印を押されたみたいに。

思い出せない、んじゃなくて、思い出したくないのかも

わたしは別れたくない、と抗議した。それから、理由を聞かせてほしいとせがんだ。彼とは一緒に住んでいたし、急に引っ越しなんてできないから、その後も一週間ほど一緒に暮らした。その間、毎日、別れるに至った理由を語ってもらった。それなのに、やはり、何にも思い出せない。そこだけ盗まれてしまったかのように、彼がなんと言ったか分からなくなる。彼の匂いも、好きな食べ物も、掌の大きさもお風呂に入ったらどこから洗うのかも、なにもかも覚えているのに、わたしが振られた理由だけが思い出せない。

思い出せない、んじゃなくて、思い出したくないのかもしれない。人間の頭と言うのは都合がいいもんで、耐えきれないほどの苦しみを味わうと勝手に記憶を作り替えたり忘れたりするものらしい。
記憶にございませんので、理由を考えてあげましたよとばかりに送りつけた「なぜ私は振られたのか」に彼がコメントすることはなかった。でも、馬鹿にすることも、否定することもなかった。彼はいつも事実だけを言う。その物言いが好きだった。

振られた理由を知ることは、一生ない

なぜわたしが振られたのか、その理由を知ることは多分、一生ない。
彼は最後に、「縁があればまた会えるよ」と言った。そんな渚カヲルみたいに話をまとめるな、とその時の私は怒ったけど、最近はそういうもんかもなと考える。縁が導けば、また会える。
生茶を飲むたびに、わたしは「あの時の生茶は、どんな味がしたんだろうな」と思う。