私は元々、なかなか決められない子だった。
買ってもらうお菓子も、今日着る服も、いらないものを捨てるかどうかも、何もかも全部。

これを選んだら、皆はなんて言うかな?
これを好きな私は、側から見たら変かな?

どんな時もこの地球上で、人々の中で、自分がどの位置にいるのかが気になって仕方がなかった。

なるべく選択から避けて、適当にかわして生きていた私は高校生になった頃、大きな問題に直面した。進路希望調査票だ。漫画で見たことがある、その紙が私の手元にやってきたのだ。

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あまりにも唐突に感じたのは私だけだったようで、周りを見ると皆スラスラとシャーペンを走らせていた。

どうしよう、何も浮かばない。

私も兄のように優秀な学校へ行かなければ、妹は不出来だと思われるかもしれない。

どんな進路なら凄いとか、頑張ってるねとか思ってもらえるのだろうか。
みんなは、どんな目標があってどのくらい進んでいるのか……。

しばらくそんなことが頭の中を支配して、一通り悩んで疲れた後、 頭にはもう何も浮かばなくなってしまった。

私、どうやって生きていくんだろう。
そんなことをぼんやり思いながら、何かに一生懸命になったことってあったっけ、と思い出してみた。

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思い当たるのは、小学生の頃のこと。

一輪車に憧れて買ってもらったけれど、どうしても怖くて乗れない。
そんな状況が悔しくてたまらなくて、毎日公園に通っていた時のこと。
結局半年もかかってようやく乗れたのだが、それ以来あんなに熱中したことは無かった。

調査票に適当な答えを書いてやり過ごした1年後、私は体調を崩して高校を中退した。

あれから10年経った今、私は毎日やりたい事に溢れた生活をしている。
誰もが憧れるような、誰からも凄いと言われるような仕事をしているわけではない。
けれど、自分が何を好きなのか、どんな人間なのか、よく分かっていてとても幸せだ。

一体何が、私をここまで変えたのか?

それは、常に自分の直感に従うという生き方に変えたことだ。

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なーんだそんなことか!と思うかもしれない。
そう、本当にそれだけのこと。
けれどこれにはとても重要なルールがある。

それは、自分がどんな人間でいたいのか、人生の最後にどんな思いをしていたいのか、 この2つだけは先に答えを出して、常に心に置いておくということ。

例えば、私は人間を含め動物を大切にする人でありたい。
人生が終わるときには、生きててよかった、良い人生だったと思っていたい。
そういう自分軸だけは決めておいて、絶対に譲らないと常に強く意識する。
後は全てその時々の自分の直感を信じて生きるのだ。

こうすれば、全く根拠のない 「何となくこれが良いと思ったから」 という選択でも、必ず自分軸に沿った答えになっているので、全てが正解になるのだ。
直感が全て正解ならば、どの選択も安心してその時の自分に任せられる。

そうやって生きているうちに、自分のことを信じられるようになり、他人の意見や自分の見られ方を気にして選択できなかったあの頃の自分とは、さようならをすることができるのだ。
そうしてようやく全ての麗に噛み合い、人生が上手く回り始める。