2023年は、ついに無職が始まった年だった。
次の就職先なんてものは決めていない。それでも、仕事を手放すのに恐怖なんて何もなかった。
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私は新しい環境へのワクワクと、この無職期間を活かすことで私は何者にでもなれるのだと、気持ちは高まっていた。
そんな私の気持ちとは裏腹に、周りはどうやら心配らしかった。
「お金はどうするの?」「とりあえず実家に戻る、貯金で何とかする。」
「無職の期間が長いと、就活で不利になるよ。」「働いていない期間だけで人を判断するような会社はこっちから願い下げ」
「次はどうするか、決まったの?」「決めてないよ」
「決めていない」のであって、「決まっていない」のではない。
私の意志で、次の選択をまだ決めていないのに、なぜ次を考えている前提で話が進むのか。
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いい大人たちから見たら、私はならず者なのだと思う。
そう見られることは仕方ない、ということは頭では理解している。
みんなそろって心配している風を装って、「いい大人なんだから、早く次の仕事を見つけて再就職しなさい」 「みんな必死に働いているんだ。病気でもないのに、なぜ休んでいるんだ」
結局はそういうことを言いたいだけ。
私はもう、いい大人だから言葉の裏くらいすぐに見透かせるのだが。
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私には無職を選んだ理由がある。1つはこれまでの私とお別れをするため。
同時進行が苦手な私は、働いているときは目の前の仕事が人生のすべて。
上司に従順。ルールは遵守。規範を守り、出しゃばった真似はしない。変化を恐れ、伝統や礼儀が大事。
私はそんな自分を100%好きにはなれない。上司に物申し、ブレない軸を持ち、変化を楽しむ。そんな人に憧れ、私はどうしてそうはなれないのかと卑下することも多かった。
そんな私と付き合ってきて、そろそろ30年になる。だからこそ、そろそろお別れしたっていいじゃないのか、と考えるようになった。そのためには、これまでの思いを切るしかなかった。思い切って、自分の置かれる環境がガラッと変わる、無職を選んだ。
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2つ目は、人生、休んだっていいじゃないかという気持ちからだ。命はいつ途切れるかわからない。明日かもしれないし、30年後、50年後の可能性もある。もしあと50年生きるとしたら、1、2年くらい休んだってほんの一瞬の出来事だろう。逆に明日人生が終わるのならば、それこそ鬱々と仕事をする日々が馬鹿らしくなる。
人生は一度きりのくせに、終わる時期も知らされない。だからこそ自分のペースで、人生を楽しむ必要があるのだ。日曜日の夕方も楽しめる日々を送ったっていいじゃないか。明日を気にせず、遊ぶことに集中したっていいじゃないか。
私は、私の人生を、私が好きな私で、楽しみたいだけなのだ。
私は今、自分と向き合っている。仕事を辞めてからは、誰かと話すよりも自分と対話することの方が多くなった。
一見、自分との対話とは閉鎖的に見えるかもしれない。しかし、対話を重ねることで自分の「好き」が明確になり、積極的に行動へ移すことが出来ている。
「好き」が見えてきたからこそ、こうやってエッセイを書いているし、「好き」が見えてきたからこそ、以前よりも興味分野の勉強をするようになった。
そしてなにより、その「好き」に飛び込むことができる環境にいることが、本当に幸せなことだと思う。
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2024年は、何をしているのか、はたまた働いているのか、無職なのか、まだ分からない。
しかし私は、まだ答えを出したくない。周りの言葉に焦り、自分の心を置き去りにして出てきた答えでは、何も楽しくないはずだ。
未来は、分からない。正直なところ、不安がないといったら大嘘になる。
でも、まだ分からないままでいい。不安も抱きしめていけ。無理に焦るな、他人の言葉で揺らぐんじゃない。私は私の幸せを、あなたはあなたの幸せを。
2024年も、私は私に従うのだ。来年もブレない自分を、ここに宣言します。